広島地方裁判所 昭和55年(行ク)6号 決定 1980年11月25日
申立人 株式会社サンヨー電機商会 外四名
被申立人 三原市
主文
申立人らの本件申立をいずれも却下する。
申立費用は申立人らの負担とする。
理由
一 申立人らの本件申立の趣旨及び理由は別添「行政処分執行停止決定申立」及び「行政処分執行停止決定申立の追補申立」と各題する書面並びにその昭和五五年一一月七日付及び同月一二日付各準備書面(いずれも写し)のとおりであり、被申立人の意見は別添答弁書及び昭和五五年一〇月三一日付、同年一一月二一日付各準備書面(いずれも写し)のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 被申立人が申立人らに対して、都市再開発法(昭和四四年法律第三八号)八六条一項に基づいて、昭和五三年五月一七日付「権利変換の処分について(通知)」と題する書面で権利変換する旨の通知をし、もつて同条二項に規定する権利変換に関する処分(以下、本件権利変換処分という。)を行つたこと及び被申立人が昭和五五年一〇月二九日、同法九六条一項に基づいて、申立人株式会社サンヨー電機商会及び同常盤友之に対し、いずれも同年一二月三一日をもつて右各申立人らが占有している施行地区内の土地の明渡を求めたことは当事者間に争いがなく、疎乙第七七号証の一ないし三、第七九、第八〇号証によれば、被申立人の昭和五五年一一月二一日付準備書面一(一)(ロ)(ニ)(ホ)記載のとおり被申立人がその余の申立人に対し右同様の明渡を求めたことが一応認められる。
2 そこで、本件申立の許否について検討するに、
申立人が本件においてその効力の停止を求めている権利変換処分ないし明渡請求処分について、その効力の停止によつて達することができる目的の内容に鑑みると、右目的は将来において採られる代執行手続を停止すればこれを達することができるものと解されるところ、権利変換処分は、明渡請求処分、その後に続く代執行手続によつて現実化されるものであるから、後二者は前者の手続の続行として把えることができる一連の手続であるということができる。そうすると行政事件訴訟法二五条二項但書によつて、本件権利変換処分ないし本件明渡請求処分の効力の停止を求めることはできないというべきである。そうして、本件にあつては、未だ代執行手続が採られていないことは申立人の主張自体から明らかである。
3 そうすると、その余の要件に対する判断をするまでもなく、本件申立は理由がないこと明らかであるからこれを却下することとし、申立費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九三条、八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 植杉豊 山崎宏征 橋本良成)
行政処分執行停止決定申立
申立の趣旨
被申立人が、昭和五三年五月一七日三再「権利交換の処分について(通知)」と題する書面をもつて申立人らに対してなした各権利変換処分の効力は、本案判決が確定するまでこれを停止する
との決定を求める。
申立の理由
申立の理由目次
一 当事者
二 行政処分の存在
三 本案訴訟の係属
四 本件事業の経過と実情
五 本件事業の権利変換処分の違法性
1 手続的違法
(一) 法定手続以前の段階の手続上の違法
(二) 都市計画決定段階の手続上の違法
(三) 施行規程制定経過の違法
(四) 法一条、三条違反
(五) 都市計画変更決定経過の違法
(六) 権利変換計画決定段階の手続上の違法
2 実体的違法
(一) 権利変換処分不明確の違法
(二) 照応の原則に関する違法
(三) 関係権利者間不公平取扱の違法
(四) 従前財産評価に関する違法
六 申立人らの回復しがたい損害
七 緊急の必要性
八 結論
一 当事者
1 被申立人
被申立人三原市は、都市再開発法(以下法という)に基づく備後圏都市計画事業三原駅前第一種市街地再開発事業(以下本件事業という)の施行者である。
2 申立人ら
申立人らは、いずれも本件事業施行地区内に宅地・建築物を所有し、自ら営業を営み、あるいは賃貸しているものである。
二 行政処分の存在
被申立人は申立人らに対して、法八六条一項に基づき、昭和五三年五月一七日付「権利変換の処分について(通知)」と題する書面にて、権利変換する旨通知をなして権利変換処分をなした。
三 本案訴訟の係属
1 本件事業の事業計画決定が昭和五二年七月一九日認可され、ついで昭和五三年五月一〇日権利変換計画の認可がなされ、右計画にもとづき昭和五三年五月一七日申立人らに対して権利変換処分がなされた。
昭和五四年九月御庁に対し右処分の取消を請求する訴を提起し、現在昭和五四年(行ウ)第一五号事件として係属中である。
四 本件事業の経過と実情
1 住民には一切秘匿したまま被申立人は昭和四五年日本専売公社に同公社所有地を再開発事業用地として利用するため払下申請。同四六年六月三原市城町の同公社宅地一一六六六m3の取得契約締結。同四七年一二月同土地の被申立人への取得登記完了(乙三~七号証)。
そしてその間ひそかに八〇万円の委託料を支払って鹿島建設グループに本件事業の調査計画に当らせて報告書を作らせ(疏甲二号証「三原市駅前市街地再開発計画」、疏甲三号証決算書昭和四六年分)、マスタープラン(乙八号証)なるものをやはり鹿島建設グループから提供を受けている(マスタープラン作成委託料は三原市から支払われていない。これは要するに本件事業は鹿島建設グループの売り込みに出発していることを物語っている)。
2 昭和四七年四月ころ、被申立人は申立人ら地元民に何ら予告、事前協議もないまま本件事業の基本構想(マスタープラン)を発表した。
右マスタープランは、駅前に商業施設を設けることを究極の目的とし、鹿島建設グループの一員である岡田新一設計事務所の「ダイナミックシティプラン」に立脚していることを明らかにし、住民に対して再開発事業とは何かについて説明する内容は全く欠き、鹿島建設グループの商業主義的宣伝で一貫しているものであった。
3 被申立人は、マスタープランを発表して、将来の構想を住民に植えつけようとするばかりで、再開発とは何かという基本的なことは全く教えず、公聴会すら開こうとしなかった。(乙二七号証「事業計画の手引」三〇ページで、三原市は基本計画は「市街地再開発事業を行う前に、都市のあり方、地元権利者ののぞんでいることを十分に取り入れながら市がつくる再開発のもととなる計画」であるといっている。事実に反すること甚しいものがある。)
4 昭和四八年に至って、被申立人は「新しい街づくり」(乙四七号証)なるパンフレットを住民に配布して市の計画する事業に賛同するよう説得を始めた(同パンフは「個人個人が、自分の土地に思い思いのビルを建てても、建物の機能上も、商業活動上も良いものは望めません。明るく豊かな憩のある街の形式が必要なのです。このような街をつくることがこの事業の大きな目標です」と述べている)。
5 昭和四八年一一月五日、被申立人は本件事業施行地区東棟の核店舗を天満屋にすることを決めたと発表したが、申立人らはこのことを地元新聞報道によって知った。被申立人は乙四三号証「あすの都市にむかって」パンフレットで、この事実は全市民にお知らせしたと言っているが、そのような措置をとったことはない。また同日ニチイと保留床処分契約を締結しているのに、このことは全く秘密にしている。
しかも、右保留床処分が、本件事業の都市計画決定以前であったことは、注目すべき点である。この事実は、本件事業の商業主義的性格を象徴していることは後述のとおりである。
6 被申立人は、広島県知事の依頼により、昭和四八年一二月一四日、本件事業の都市計画決定案を公告し、同月一五日より二八日まで市都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。右公告、縦覧と併行して、三原市長の高度利用地区決定案公告と縦覧も行った、と主張している。
右の主張が、いかに官僚的発想のもとに、至極形式的、はっきりいえばお体裁をつくろうだけのものであったかは後述するとおりである。地方公共団体の施行事業としては、公正な手続に著しく反している。
7 昭和四九年二月二二日、本件事業施行地区に係る高度利用地区の都市計画、備後圏都市計画市街地再開発事業の都市計画の決定がなされたが、右決定に先立って右都市計画の案の公告、縦覧、意見書提出の機会は与えられず、申立人らは、右都市計画の決定については後日新聞報道によって知ったのが実情である。
このとき三原市は、高度利用地区の決定もしている。そして三原市は、右決定について乙一八、一九、二一号証の如き書面を、よほどヒマ人でなければのぞかないであろう市役所の掲示板に張りつけたことをもって、周知徹底として十分であるというのである。
8 被申立人は昭和四九年三月、本件事業の基本設計作成。関係権利者への説明会を開催したと言っている。
基本設計とは、乙二四~二七号証をいう。基本設計もまた商業主義的再開発として徹底し、権利者の立場に立った説明の内容が全くみられず、鹿島建設グループの主導を暴露している。
例をあげると次の如くである。
核店舗の規模を決めたあと専門店(権利床が含まれる)を決めることにしている。権利床は核店舗に劣後するのである(乙二四号証三ページ、乙二七号証二三ページ)。
「専門店がレベルアップし、大型店と共存共栄がはかれる。百貨店等の誘致により三原市への来街者が増え、他の商店街も共に栄えることができる」。共存共栄がはかられるのであれば、商圏予測に変動がありえないはずなのに、後述するとおり商圏予測を訂正している。また、「他の商店街」は百貨店等のおこぼれにあずかることができるというのである(六ページ)。
商圏予測は(七ページ)、マスタープラン(乙八号証一二ページ)と比較して、現実の吸収率が一〇倍もの数値(因島市)もあり、おそろしく過大である。
百貨店と量販店の売場面積は、平均でも二万一〇〇〇平方メートルが適正であるが、専門店(その一部が権利床である)六〇〇〇平方メートルである(九、一〇ページ)。建物の七七パーセントは百貨店、量販店にすべきだというのである。
二二、二三ページの商業ビル、核店舗中心主義の説明は、巧妙である。
もっとも住民にとって切実な問題である権利変換は基本設計の(5)で登場する(乙二七号証「事業計画の手引」)。住民をギマンすることの象徴は一四ページの如き説明である。すなわち、あたかも「等床交換」の如き錯覚をもたせること実に巧妙である(乙四七のパンフ二四ページも「等床」の如き夢をもたせようとしている)。
いんぎんにして強引なこと「原則として是非共有方式を進めていきたいと考えます」として、わざわざ波けいを打っている(一五ページ)。
9 昭和四八年ころから被申立人は経営コンサルタントを通じて地元地権者の説得工作を開始した(疏甲三八号証案内通知)。
この説得工作は、本件事業の過大な商圏予測をし、後に、その予測を訂正した鹿島建設グループの日本コンサルタントグループである。三原市が三〇〇万円を支払って雇ったおかかえコンサルタントである(疏甲三号証決算書)。
10 被申立人は昭和四九年一一月、区域内の財産、諸権利の公平な評価と公正な権利変換をはかる必要があり、そのために慎重な準備・審議が必要なので、再開発準備審査会を設置したと主張している。
右審査会のメンバーが、施行者サイドの者ばかりで構成されていることは後述する。「公平な評価と公正な権利変換をはかる」審査会のメンバーの一員が、乙五二号証の鑑定をしたのであり、二号委員のメンバーは、三原市の事業に賛同する者ばかりで構成されている(疏甲四〇号証「再開発だより」)。
11 四九年から五二年初めにかけて、三原市は次のような措置を採ったと主張している。
「昭和四九年一二月、当初設計説明による意見・要望を取り入れ、基本設計二次案を作成、開係権利者への説明会開催。
昭和五〇年二月乃至一〇月、事業区域宅地評価につき再開発準備審査会の議を経て関係権利者と折衝・土地価格を発表。
昭和五一年九月一三日、高度利用地区変更案の縦覧公告。同月一四日より二七日まで都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。
昭和五一年一〇月二一日、高度利用地区の変更決定公告。
昭和五一年九月、西棟核店舗にニチイを決定。金融機関入居者を三原信用金庫と内定し、それぞれ発表。
昭和五一年九月乃至一二月、基本設計三次案及び権利変換モデルを作成公表し、関係権利者に対し個別説明。関係権利者大半の賛成・支持が明らかとなった。
広島県知事により、昭和五一年一一月三〇日都市計画市街地再開発事業の変更案の縦覧公告をし、同月三〇日より一二月一四日まで都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。
昭和五二年一月一四日、本件事業の都市計画変更決定、公告。」
右の経過は、申立人らの意向を全く無視し、市の再開発事業に賛同している(乙六一号証協議会規約一条)駅前整備対策協議会(三原市は、この協議会に経済的援助をしていた疏甲三号証決算書、市の援助金のほか、市から元専売公社敷地を無償で借り受け駐車場として九三〇〇万円の利益をあげていた乙六四~六九号証の協議会決算報告書)との協議だけで、強引に手続を進めてきたのである(疏甲四〇号証「再開発だより」)。
強引さについては後述するが、象徴的なことは、地区内に四七名の居住者がいたにもかかわらず、かつ店舗と住宅が一体となっている職住一致の必要性の強い権利者がいることは十分知りつつ住居を一切抹消したことである。田坂証人は住居があると満艦飾になるおそれがあるのでとりやめた、と証言しているが、これは設計やデザインといった技術上の操作で克服可能なことであり、実は核店舗の要請を受け入れたにすぎないのである。(田坂証言によれば、デパートやスーパーが建物の外部に派手な装飾やたれ幕をして景観を害することはさしつかえないようである。)
12 昭和五二年二月二八日から同年三月一三日までの間被申立人は本件事業計画の縦覧に付した。
申立人ら関係権利者はこれに対し同年三月一九日意見書(疏甲一六号証)を提出したが被申立人は一切これを採択しなかった。
三原市は、ひたすらすでに本件事業は都市計画決定がなされているから、いまさら反対の意見が出されても従うわけにはいかないという趣旨の考え方のもとに(疏甲一三号証)申立人らの意見書を一蹴したのである。(疏甲三六号証ゲイニチ昭和五二年六月一八日、二七日)
13 被申立人は、昭和五二年七月一九日付で本件事業につき知事の認可を受けたと発表し、同年八月二日本件事業計画を公告したが、施行地区・設計の概要を表示する図書の写しを公衆の縦覧に供したうえ、関係権利者に本件事業計画を周知させる措置を十分に採らなかった。
事業計画は、公共団体の専権事項であり、議会の関与外であるから、それだけより住民に対する説明義務が要求されるにもかかわらず、何ら周知徹底の方法は講ぜられていないのである。
14 被申立人は、右公告後約七カ月経過後になってはじめて昭和五三年二月二一日付三再一一七号をもって「権利変換計画案の説明について(通知)」と題した書面を申立人らに送付し、申立人らに説明しようとしたが、その説明の実態は、被申立人の雇った経営コンサルタントによる経営方針を改めようという説得であった(このような説得は施行者の一貫した態度である疏甲三九号証昭和四九年六月二七日備後タイムズ)。
なんとなれば、三原市とその背後にある本件事業の実質的プロモーター鹿島建設グループは、「権利者は予め商業に最適な業種構成(階、位置)として定められた床に従前営業(業種の変更、新たに商売を始めるものについては専門家の意見にもとづき認める)していた業種を権利変換し、それ以外の階の床の取得を認めない方針」(乙四七号証「新しい街づくり」二三ページ)だから、当然のことといえば当然のことである。本件事業の事業費の三分の二を支払う核店舗の調和を乱してはならないのである。権利者は、従前の営業・生活形態を根本的にくつがえして、核店舗に追従しなくてはならない義務があるのである。
15 被申立人は、昭和五三年二月二八日から同年三月一三日まで本件事業に係る権利変換の縦覧に供し、申立人らはこのときになってはじめて本件事業の内容を知らされた。
これに対し、申立人らは昭和五三年三月三日権利変換拒否の意見書を提出したが、被申立人はいずれもこれを不採択に付した。
しかしながら、不採択にすることは、当然のことである。なぜなら、採否を決定する市街地再開発審査会(法八四条二項)は本件事業における三原市の協力者であり、賛同者ばかりで構成されているからである。
16 被申立人は、昭和五五年三月三一日、事業計画変更(事業期間の延長、資金計画の変更)を公告したほか、さらに八月四日県に対し都市計画変更の依頼をして、再開発ビル完成に先立って一一月一日に、パチンコ店だけを開店させようとしている。
特定の権利者に限って早期に開店させるのは不公正そのものである。こういう点にも本件事業の非公共性が如実に現われている。
五 本件事業の権利変換処分の違法性
1 手続的違法
本件事業は、施行区域が住商混合地域であったにもかかわらず、申立人ら小企業者の犠牲の上に事業採算を合わせることのみを目的とし、結局大商業資本に奉仕することが事業の目的となっている。かかる事業における権利変換処分は、都市再開発法一条にいう都市機能の更新を図るものでないことはもちろん、公共の福祉に寄与するものではなく、また同法三条の要件を充たすものではないから違法であり取消されなければならない。
さらに権利変換処分に至る法定手続以前の段階の手続、都市計画決定、事業計画決定、権利変換計画決定の一連の手続は、形式的に手続を履践しているのみで、実質的に適正行政手続を経たものではないから、本件権利変換処分は憲法一三条、三一条、二九条、二二条に反し取消されなければならない。
(一) 法定手続以前の段階の手続上の違法
都市再開発事業は、都市計画決定、事業計画決定、権利変換計画決定という一連の法定手続を履践するよう法律上義務づけられているのはもちろん、法定手続以前の段階における施行者の説明義務も無視してはならない。
都市再開発事業は、土地、建物所有権者等の従前の権利状態を一方的に覆えすものであるから、財産権者に対する配慮は徹底され、あらゆる手続段階において説明がなされ各権利者と慎重に協議されなければならないのである。
このような趣旨から、「市街地再開発事業の施行が予定される地区については、法定の手続に入る前に説明会の開催等により法の趣旨及び当該地区における再開発計画の概要を関係権利者に十分かつ具体的に周知させ、事業に対する積極的な協力態勢が確保されるよう努めること」との通達(昭和四四年一二月二三日建設省都再発第八七号建設省事務次官から都道府県知事・指定都市への「都市再開発法の施行について」と題する通達疏甲五号証)、「市街地再開発促進区域に関する都市計画の決定及びその区域内における市町村等の公的団体による市街地再開発事業の施行にあたっては、事前に借家権者を含む関係権利者の意向を十分把握し、その意向に即してこれを行うよう指導すること」との附帯決議(昭和五〇年六月四日衆議院建設委員会都市再開発法の一部を改定する法律案に対するもの)等が存在している。
本件事業計画は、新幹線の三原駅停車が決定された、昭和四三年頃から被申立人において検討を始めた。しかしながら、被申立人は、本件事業の計画を申立人らに明らかにせず、昭和四七年四月頃になって、初めて申立人らは本件事業の計画の存在のみを知るような有様であった。(前記四の1、2)。
(1) 本件事業は、施行地区の住民、商店主からの発案に基いて実施するに至った事案ではない。施行者である三原市と住民・商店主との間で地元商業者の発展、消費者流出をいかに阻止すべきか、駅前をどのような形に整備すべきかという基本的な問題について、十分なプラン練り上げの期間は全くなく、市が先行、率先して実施に移してきた事業である。
「市の方が指導に力んでいるようであるが、そんなことはできないのではないか」という住民・商店主の意見が強かった(田坂証言第一回一〇二項)とあるように、施行者が先行して、施行者のプランを納得させるという形で事業が押し進められてきている。(四の3)。
施行者は、地元民の意向に何ら関心なく専売公社用地を先行取得して本件事業の布石としている。
その後本件事業は昭和四七年四月一日に、建設省の事業採択を受けている。従って、三原市はそれ以前から採択事業とすべく準備をすすめていたことは明らかである。乙三号証の専売公社敷地払下陳述書は昭和四五年二月四日付の書面であり、少くとも事業採択の二年二カ月以上以前から再開発事業を計画していたことは明らかである。
同陳情書には、払下げ土地を「都市機能の改善向上、高度利用を図りたい」と述べており、都市再開発を企図しているものである。
しかるに、住民にマスタープランを公表したのは、昭和四七年四月である。マスタープランだけではなく疏甲二号証の調査報告書は昭和四六年に作られているのである。
住民が全く知らないうちに、三原市は再開発事業の準備をすすめていたのである。
しかも、疏甲二号証の末尾には、「現在当地区の住民の大半の賛成を得ている」と全く事実に反した記述をしている。
住民をギマンするものであって、地方公共団体としては厳しくとがめられなければならない。
(2) 田坂証人は、「マスタープランについて三原市議会の賛成なくしては、再開発事業は進められない」と言っているが、実際には市議会の全員協議会にはかったにすぎない。全員協議会は、議会規程にもない組織であって、審議権もないのはもちろん、決定権もないのである。
(3) また田坂証人は法定手続以前に再開発事実を実施に移している先進地を視察したというが、実際には、施行者サイドに立っている者の説明を受けているだけである。
メリットの説明を受けて、デメリット、殊に転廃業を余儀なくされた商店主の実態などは何ら視察の対象となっていないのである(疏甲四〇号証の3「再開発だより」)。
(4) 本件事業によって、生活が根本的にくつがえされるのは権利者であるが、権利者にとってもっとも重大なことは、自己の土地建物所有権等が新しいビル内でどのような形になるかということである。こういう重大な点についての説明はきわめて不十分である。昭和四八年三月の「新しい街づくり」(乙四七号証)はこの点を一ページだけ割いて説明しているが、おそらく何人もその意味を理解する者はいないであろうと考えられる図解にすぎない(同二二ページ)。
(5) 再開発事業を実施するには、資金を必要とするが、「新しい街づくり」は次のように説明している(同二〇ページ)。
「公共施設の整備に要する費用を国と市が支出して公共施設や再開発ビルをつくる」。これは再開発ビルがあたかも国や市の支出金でできあがるかのような錯覚をうえつけるもので一種のペテンといってよい。
(6) 本件事業においては、公聴会が開催されたことはない(四の3)(田坂証言第三回一〇三~一一五項)。県の指導がなかったから開かなかったというのであるが、住民の土地建物に対する権利を一方的にくつがえしてしまう事業を開始しようという地方公共団体が法に定める公聴会(都計法一六条)を開かないというのは、きわめて異例なことである。本件事業の都市計画決定は県知事の権限であることはいうまでもないが(都計法一五条一項四号、一二条一項四号)、直接に住民に責任のある三原市としては、最も切実な利害関係を有する住民や学識経験者に、都市計画の是非、妥当性、問題点について意見を聴取する公聴会を開催するよう主導すべき義務がある。再開発事業は施行規程の議決のほかは、事業計画にも権利変換計画についても何ら住民代表の議会の関与を受けないのであるから、施行者たる地方公共団体が公聴会の開催を実現するよう働きかけるのは当然のことといわねばならない。
(7) 三原市は駅前整備対策協議会と協議をしてきたと主張している。しかし対策協議会なるものは、「事業の目的達成に協力することを目的」とする組織であって(乙二一号証協議会規約一条)、本件事業に賛成している者の集りなのである(四の11)。三原市はかような組織と協議を重ねてきたことをもって民主的な手続をすすめてきたと主張しているのである(特に被申立人準備書面第二回)。
協議会の主たるメンバーが、準備審査会、審査会の二号委員に三原市長が任命していることからもわかる(乙二三、六三号証「再開発だより」)ように、協議会は施行者と一体不可分の親密な関係にあるのである(四の11、15)(準備審査会の二号委員は協議会が選考して市長がそのまま任命したのである乙六五号証協議会決算報告書)。
(8) 本件事業計画は四九年二月に決定されたのち、昭和五二年一月一四日と昭和五五年三月三一日に変更されている。設計変更も実施案に至るまで四回の変更を受けている。昭和五二年の変更は住宅建設をとりやめようというもので(四の11)、昭和五五年三月の変更は、事業期間の延長と資金計画の変更である(四の16)。
このような変更が重なるのは、法定手続に入る前に、あらかじめ十分住民に相談せず、住民不在のまま一方的に計画を作ったことの結果である。協議会自身が法定手続直前の昭和四九年一月三原市に対して、再開発事業について初歩的な質問状を出しているのであるから、三原市の説明内容のずさんさは明白である(疏甲四一号証協議会からの質問状)。このようなマイナス面は再開発事業は独立採算制であるから結局関係権利者の権利の縮少としてつけが回されてくるのである。
(9) 本件事業における法定手続以前の段階の手続が、住民不在のままに強行されたことは、都市計画決定後にむしろ反対の声が高まったことからもわかる(疏甲四二号証昭和四九年六月一三日備後タイムズ、疏甲一四号証の昭和五一年一二月議会説明)。
昭和五二年に至ってすら協議会からの脱会者があったということそのものが、施行者の説明不足と独断専行性を雄弁に物語っている(疏甲一四号証「脱会声明」、疏甲四三号証昭和五二年一月六日備後タイムズ疏甲二八号証)。
(二) 都市計画決定段階の手続上の違法
昭和四八年一二月一四日、施行者三原市は都市計画法一七条一項に基づいて、備後圏都市計画市街地再開発事業決定案を二週間縦覧に付する旨の公告をしている(四の6)。この公告は三原市役所の掲示板に掲示したにすぎない(乙一〇、一一号証)。しかも、この公告は縦覧期間の前日の公告である。一片の公告をもって法の履践として十分だと考えているようなところに、本件事業の独断専行性が如実に現われている。被申立人は単に法を形式的に履行しているにすぎないのである。
関係権利者に対する縦覧の通知は、すでに縦覧が開始された後に通知が出されており、その通知書の内容そのものも、「関係図書等を縦覧していますので通知します」(乙一四号証)という素っ気ない文面で、関係権利者に対して都市計画決定の拘束力を知らしめるなど何らの重大な事項の周知徹底もしていない。
その証左に、関係権利者が一一七名いるのに閲覧したのはわずかに二一名(一七%)だけである(乙一二号証)。
提出された意見書が再開発事業施行区域高度利用地区から外すよう要望した意見であったことからしても、「法定手続に入る前に説明会の開催等により、権利者に十分かつ具体的に周知させること」(建設省通達疏甲五号証第四項)がいかになおざりであり、かつ三原市が一方的に計画を進めるだけで(というのもこの時点までにすでに昭和四六年マスタープラン、昭和四七年基本計画書、昭和四八年基本設計を作り、天満屋・ニチイと出店協定を結び、施行規程の制定(昭和四八年一二月二五日制定)を計画している)住民の意思が反映されていなかったかが明白である。
本件事業の都市計画決定そのものの図書の縦覧周知についても、約一カ月後になって「公報みはら」にわずかなスペースをさいて公報したにすぎない(乙一五号証)。
申立人らは、昭和四九年三月二八日の地元新聞によってはじめて知らされたのである(疎甲〇〇号証昭和四九年三月二八日備後タイムズ)。
(三) 施行規程制定経過の違法
本件事業の施行規程(乙二九号証)は、昭和四八年一二月二五日制定施行されている。
本件都市計画決定は昭和四九年二月二二日であるから、本件事業の都市計画決定が出る前にすでに施行規程を制定していることになる。再開発事業の法定手続の第一歩は都市計画法による都市計画決定であることからすれば、きわめて異例なことであり、法定手続をいかに形式的なものとみていたかが如実に現われている。
しかも、施行規程の内容そのものは、真に関係権利者の権利利益の保護に遺漏なきよう配慮したと考えられるものは全くない。
本件の施行規程は、殆んど全く建設省が施行規程のサンプルとして示した標準施行規程(疏甲六号証)と殆んど全く同一である。
そのために、例えば事業の範囲についても全く規定されていない(田坂証言第三回一一六~一二二項)。
また例えば、保留床の処分は七条で公募によると定めているものの、実際には、施行規程を制定する前に天満屋との間で保留床の売買契約を締結してしまっているのである(三原市は昭和四八年一一月五日に天満屋と出店協定を結び、ニチイとも協定している)。これは明らかに施行規程に違反する行為である。少くとも条例に権限規定を定める以前の行為として、権限なき代表行為といわなければならない。
そういうことからしても、本件事業の非民主性、独断専行性が極めて顕著である。
市街地再開発審査会については、住民にとって重大な関心を寄せざるをえない権限に関する定めもなければ、議決要件の定めもない。権限については、都市再開発法を読めばわかるというような条例は、きわめて高圧的であり非民主的であるといわなければならない。
(四) 法一条、三条違反
(1) 本件事業においては昭和四六年のマスタープラン(乙八号証)から初まって昭和五三年一月の実施案(乙四六号証)に至るまで、一貫して鹿島建設グループの手によって調査・計画が推進されてきている。そして、六〇%の割合で同一の鹿島建設が本件事業の建設工事を請負っている。
三原市という地方公共団体が施行する事業であるにもかかわらず、一貫して大手建設会社の主導で調査計画がすすめられたことじたい(前記四の1、2)地方自治法の理念に背馳するものである。公共の福祉を終局の理念とする都市再開発法一条の理念からいっても、根本的な法律違反をおかしているといわなければならない。
本件事業は昭和四六年作成の疏甲二号証「三原市駅前市街地再開発計画」に初まって、昭和四八年三月の基本計画(乙四四、四七号証)、昭和四九年四月の基本設計一次案(乙二四号証「事業計画の手引」、同年一二月の第二次案(乙四五号証)、昭和五一年八月の三次案(乙三五、乙四八、乙四三号証)、昭和五三年一月の実施案(乙四六号証)に至っているが、その計画の流れに一貫しているのは、鹿島建設グループ(鹿島建設都市開発室、岡田新一設計事務所、日本コンサルタントグループ)の思想である(四の1、2、3、4、8、9、14)。営利追求を究極の目的とする建設会社グループが一貫して計画を推進し、かつ自らが建築工事を請負うのは異例なことである。公共団体が施行するからには、民主的に地元商業者の意見を十分に吸み上げて、それに科学性をもたせるべき第三者的な専門家(都市計画を専門とするプロジェクトチーム)をブレーンとすべきである。
昭和四八年三月の基本計画(乙四四、四七号証)の建物総延床面積が五万三九二平方メートルであったのに、最終実施案においては五万六五三〇平方メートル(疏甲四号証)に増大して、過大な建物規模となったのも、結局営利追求を目的とする団体の主導によるものである。
本来、再開発専門のコンサルタントや再開発事業あるいは商業診断を科学的になしうる学識経験者を交えた開かれた計画作成の場が確立されてすすめられるべきであり、現に多くの都市においては基本計画作成を市の立場で受託する専門コンサルタントと協力して公共主導型で実施されているのである(例えば疏甲四四号証CCM計画研究所パンフレット)。他都市の例と比較しても本件事業は計画作成過程の民主性、科学性に著しく欠如したものである。
再開発専門のコンサルタントや学識経験者が地元商業者の意向を科学性をもたせたうえで立案された計画を、純粋に技術的な面から設計することを建設会社に委託するのであればともかく、基本的な計画そのものから建設会社に委託してそのペースで事業を推進、実現化するという本件事業あり方が本件事業の本質を暴露している。このことが、駅前にデパート、量販店、ホテルを整備することだけを目標とするきわめて公共性の低い再開発を生み出したのであり(四の14)、表面上公共主導の形をとりながらも、結局は採算を重視した商業主義的性格が貫かれることになってしまったのである。
このことは、乙四九号証の三原市のパンフレットにある建物断面図に象徴化されている。これはまさに、デパートと量販店とホテルのための再開発にほかならない。また本件事業の都市計画決定(昭和四九年二月)以前にすでに保留床処分のための核店舗と出店協定を締結しているということ(四の5)、及び住宅建設をとりやめた(四の11)というところに、本件事業の商業主義的性格の本質が象徴的に現われているのである。
(2) 商圏分析、予測の誤まり
商圏分析並びにその予測は、できる限り堅実かつ現実的で、しかも充分安全性を加味したものでなければならないとされている(乙八号証マスタープラン一三ページ参照)。それは、本件再開発に即していえば、再開発ビルの大きさ(売場面積)を決定する指標であり、さらには再開発後に申立人らのような零細小売業が成り立っていくことができるか否かに係わる重要なものである。
ところで、本件再開発のための商圏予測としては、昭和四八年に作成された「三原駅前市街地再開発事業基本計画書」(乙四四号証、以下「基本計画」という)、昭和四九年の「事業計画の手引(1)」(乙二四号証の一)、「あすの都市にむかって」(乙四三号証)があるが、いずれも商圏人口が異なるのである。
まず基本計画では商圏予測を左のようにたてている。
商圏内人口及び世帯数(53年推定)
区分
商圏地区
人口
世帯数
吸引率(%)
吸引可能
世帯数
第1次
三原市
95,000人
27,160世帯
100
27,160世帯
第2次
久井町
大和町
河内町
本郷町
瀬戸田町
因島市
竹原市
高尾町
尾道市の一部
7,000
9,000
9,000
9,000
12,000
40,000
36,500
10,000
104,000
2,000
2,570
2,570
2,570
3,430
11,430
10,430
2,860
29,710
60
60
50
60
40
20
25
15
15
1,200
1,540
1,280
1,540
1,370
2,280
2,600
430
4,460
小計
16,700
合計
43,860
ところが、約一年後の事業計画の手引では、左のようになっている。
(1) 昭和53年の商圏予測
区分
商圏範囲
人口
吸引率
吸引可能人口
世帯数
吸引率
吸引
可能
世帯数
1次
三原市
本郷町
95,000
9,000
%
100
80
人
95,000
7,200
27,160
2,570
%
100
80
世帯
27,160
2,060
2次
久井町
大和町
河内町
瀬戸田町
竹原市
因島市
尾道市
世羅町
甲山町
御調町
向島町
高屋町
7,000
9,000
9,000
12,000
36,500
40,000
113,000
10,000
8,600
9,300
21,000
10,000
70
70
65
60
50
30
30
40
40
40
30
20
4,900
6,300
5,850
7,200
18,250
12,000
33,900
4,000
3,440
3,720
6,300
2,000
2,000
2,570
2,570
3,430
10,430
11,430
32,290
2,860
2,460
2,660
6,000
2,860
70
70
65
60
50
30
30
40
40
40
30
20
1,400
1,800
1,670
2,060
5,220
3,430
9,690
1,140
980
1,060
1,800
570
第1次小計
104,000
102,200
29,730
29,220
第2次小計
285,400
107,860
81,560
30,820
合計
389,400
210,060
111,290
60,040
さらに「あすの都市にむかって」では商圏人口三五万六六〇〇人、吸引人口一七万八〇〇〇人としている。
このように商圏内人口については、約三三万人→三九万人→三五・六万人、吸引人口については、約一六万人→二一万人→一七・八万人と変化している。この変化と、当初の基本計画では、核店舗は一店であったのが、事業計画の段階(いわゆる一次案)では、核店舗を二店としていることとを考え合わせると「事業計画の手引」で商圏人口や吸引人口を増加させたのは、核店舗を二つにするためのデータをそろえるためと推認されるのである。
その証拠に右の「基本計画」と「事業計画の手引」にある商圏人口、吸引人口を比べると、商圏範囲(地区)を拡大し、吸引率を軒並み上昇させているが、その根拠は説明されていないのである。
さらに、小売販売額の予測についても、「事業計画の手引」では、核店舗を二つのばあい、昭和五三年は七五〇億円としているが、「あすの都市にむかって」では約七〇〇億円となっており、五〇億円もの差が生じ、核店舗二つとする方向へのデータをそろえているのである。
現在、三原市が、再開発にあたって基礎データとしているものは「あすの都市にむかって」と題する書面に記載されているが、そのデータなるものもこれまでの「基本計画」、「事業計画の手引」の延長線上にあるものであって信用性に乏しいものである。
商圏人口については、昭和四八年三月の広島県、三原市、三原商工会議所の三者による三原広域診断(疏甲七号証)によれば、商圏人口二〇・三万人、吸引人口一一万~一二万人としているのを、再開発完了後の予測として商圏人口三五万六六〇〇人、吸引人口一七・八万人としているのである。
そしてその理由として、百貨店(天満屋のこと)が出店することになったので商圏の範囲が広くなり、尾道も商圏に加えたとしているのみである。
ところが、商業近代化委員会尾道地域部会の商業近代化地域計画報告書(疏甲五七号証)によれば、逆に三原市の第一中学校区(人口一・一万人)も尾道の商圏であるとしているのであって、尾道市が三原の商圏に加えられるとはとうてい考えられないのである。
さらに、三原市周辺の町(大和、河内、本郷、瀬戸田、久井)の人口は昭和三〇年から減少しており、昭和四〇年から同五〇年の間に六・三パーセントの減少である(疏甲五四号証)。従って、仮に百貨店の出店により商圏地域が拡大しても商圏人口や、吸引人口の拡大は望みえないのである。もちろん三原市自身の人口も、ほぼ横バイの状態であり、この点からも商圏人口の増加は望めない
「あすの都市にむかって」の商圏人口、吸引人口の予測は、一体どのような根拠にもとづいて前述のような予測を行ったのであろうか。「基本計画」や「事業計画」の手引きでは曲がりなりにも、前述したような商圏範囲の市町村、人口、吸引率が示されていたのに、それすら示されていないのである。これでは「出店側の要求する店舗面積に合わす形で計算されかなり理論的根拠を欠いている」(疏甲五三号証、同五六号証の八)といわざるを得ないのである。
さらに、昭和五五年三月に発表された三原市、広島県、三原商工会議所による「三原広域商業診断報告書」(疏甲五四号証)の実態調査によると、三原市の実質商圏人口は九万五四九九人であって、再開発の資料の一つとしている昭和四八年三月に三原市が発行した「新しい街づくり」(乙四七号証)の中で述べられた商圏人口一三万人とは大きくくい違っているのである。このことは再開発完了後に、商圏人口が増えることが期待されるにしても、三原市が考えるように一七・八万人となりうるかについては大きな疑問がでてくることになるのである。
商圏予測をどのようにするかは当然のことながら、再開発ビルの大きさ、大店舗(核店舗)の面積に影響を及ぼすことになる。
昭和四八年三月の「広域商業診断」(疏甲七号証)では、三原市の中心部が担当し得ると見込まれる購買力をもととした最大限の売場面積は尾道からの吸収を加えても昭和五一年では一万六〇〇〇平方メートルであるとしている。しかるに「事業計画の手引(1)」によれば核店舗の適正売場面積の最大値を面積二万八〇〇〇平方メートルとし、最小値ですら一万八〇〇〇平方メートルとしてまさしく核店舗のためにデータをそろえているのである。そして「あすの都市にむかって」では右の規模を縮小したようにみせかけた形をとって核店舗の面積を一万八〇〇〇平方メートルとしているのである。
しかし、この面積についても現存の零細小売店舗を圧迫することになり、さらに縮小すべきであるのである(疏甲九号証の一、二、一〇号証の二、三)。
この核店舗面積の大きさについては、本件再開発に賛成している人々の間においてすら大きすぎるとの声は多いのである(疏甲五六号証の一ないし一九)。
以上のように本件再開発について基礎となる商圏予測については、その信用性については極めて疑問が多く、誤まりが多いのである。
このようにみてくると本件事業が既存の商店街中小零細業者を切り捨てその犠牲の上に天満屋、ニチイの両業者が大きくそびえ立ち三原市民の上に君臨する状態をめざした計画であることは明らかである。
このような状態は消費者市民にとっても決して利益にならない。大手スーパー百貨店の商圏支配は消費者支配に通じ結局は消費者物価の高騰を意味するからである。
地元の中小零細業者にも、消費者・市民にも利益をもたらすことなく、天満屋、ニチイをもうけさすことを最大の目的とする本件事業はとうてい公共の利益のための事業ということはできない。都市再開発法一条の「都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新、公共の福祉」という目的に違反するものであることは明らかである。
(3) 市街地再開発事業を施行できる区域には、四つの条件のすべてに当てはまる区域でなければならない(法三条)。
法三条三号は、
「当該区域内に十分な公共施設がないこと、当該区域内の土地の利用が細分されていること等により当該区域内の土地の利用状況が著しく不健全であること」
を掲げている。
本区域内においては「公共施設がない」というのも、「土地の利用が細分化されている」というのも当らないし、いわんや土地の利用状況が不健全である要素など全くない。
公共施設についていえば本件事業で道路の拡巾がはかられているがこれが必要であるとしてもそれは、それ自体を目的とした事業でできることであり、本件事業によらなければできないものではない。
又法三条四号は、
「当該区域内の土地の高度利用を図ることが当該都市の機能の更新に貢献すること」
と規定している。
三原市における都市機能の阻害についていえば、工場の過度集中と公害の野放し、生活道路、公園、下水道など都市施設生活基盤整備が放置されてきたところに問題があるのであって、この地区の土地利用が都市機能を阻害してきたものではないし、本件事業により都市機能の更新が図られるものでもない。
区域内の土地の利用状況が著しく不健全であるか否か(三号)、あるいは都市機能の更新に貢献するか否か(四号)の条件については、本件事業は、デパート、スーパーの営利追求の団体の利益に比重が大きく、そこに居住する住民の生活環境や営業条件の改善については極めて比重が軽い。
権利者が取得する権利床(およびそれに対応する底地)以外の床=保留床(およびそれに対応する底地部分)は原則として公開公募で処分する。この保留床売却代金が事業経費にあてられる。再開発事業費は保留床の売却によって生み出されるのである。事業費をまかないうるだけの規模の保留床が用意され、しかもそれが完全に売れなければ、施行者たる三原市は巨額の赤字、負債を背負いこむことになる。したがって制度上は、保留床処分はビル完成後の公募によるのであるが、現実には、まず保留床の大口引受者を見つけ、その希望を容れながら再開発事業のスケールを決め(出店協定締結のときには、当然面積を協定するのである疏甲四五号証再開発ニユース。)、ビルの設計を具体化していくのである(疏甲三四号証遠藤晃著「都市再開発政策と中小企業」疏甲四七号証「再開発にゆれる藤沢の苦悩」)。この事実が本件事業においてもそのまま該当することをよく表わすものが三原市が三原市商店を守る会に出した回答書である(疏甲四六号証)。
本件事業は、ニチイ天満屋および天満屋が資本参加するホテル(乙四三号証)のビッグストアー中心の再開発である。
このような再開発は、とうてい公共の福祉に寄与するものではない(法一条)。
権利者の生活および営業形態、財産に根本的な質的変化を強制する事業であるにもかかわらず、地元権利者に対する配慮は二の次であり、大店舗の売場中心主義の本件事業の公共性はきわめて低い(疏甲四八号証安本典夫「都市再開発法の構造」)。
三原市は再開発ビルの目的にっいて次のように言っている(乙四三号証「あすの都市にむかって」)。「魅力あるショッピングセンターを形成する。再開発ビルに百貨店、量販店を出店させて魅力ある商業施設形成が必要である」。そして「既存権利者の施設については権利変換に必要な規模とする」。
また乙四九号証のパンフレットにおいても、「建物内部においては商業フロアとしての空間とサービスエリア、設備も空調、照明、エスカレーターなど現代の技術により、明るく、使いやすい建物として設計している」という。これは要するに権利者に対しては、必要最少限度の権利床は与えるけれども、核店舗中心の建物に作り上げるというのである。
設計の仕方においても、ニチイ、天満屋の大商業資本中心である。
二階に設置されるモール(西棟東棟連絡二階通路)は、東棟のデパート(紳士服・洋品・ゴルフ)と西棟量販店の衣料品を直結する仕組みになっている(実施案六、八、二三ページ、疏甲四号証一〇ページ)。西棟一階の人の流れは無視されている。
職住の分離についても、住民の意思がどの程度反映されていたかについては、極めて疑問がある。
第一種市街地再開発事業の建築物の整備に関する計画は、建築物が都市計画上当該地区にふさわしい容積、建築面積、高さ、配列、用途構成を備えたものでなければならない(法四条三号)。本件事業施行地区のごとく、住居ないし路線商業として店舗併用住居が多数を占める地区においては住宅を用途構成として定めることがふさわしいのである(法五条)。
天満屋ニチイ中心主義の反面として、申立人らの営業、生活に加えられる不利益は甚大なものがある。
昭和五二年八月二日から三一日までが、事業計画公告後の権利変換を希望しない旨の届出期間であったが、その旨の申出をしなかった申立人らは権利変換後にどの階のどの場所に、どれだけの床が取得できるかもわからないのに権利変換を強制された。また、等価交換の原則によって、著しく狭小な店舗面積(住居は与えられない)を与えられたにすぎない(申立人常盤の例でいうと約三四〇平方メートルの住居店舗面積に対し、一六〇平方メートルの店舗が与えられるにすぎない。二階にも五四平方メートルの店舗が与えられているが、現実には店舗として利用価値はないこというまでもない)。商住分離を余儀なくされ、小売商独特の営業形態は一切無視されている。零細企業の犠牲の上に、大店舗が安価に易々と駅前ビルを占拠する本件事業のあり方をして、「都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図って公共の福祉に寄与することを目的」としているといえないことは明らかである。売場面積二万五五〇〇平方メートルのうち約七〇パーセントの一万八〇〇〇平方メートルが百貨店、量販店の店舗面積となる。すなわち再開発ビルの一〇分の七は大店舗用のスペースなのである。そして大店舗は一〇分の七の底地を取得するのである。小売商業者の権利床は、大店舗に歩調を合わせた業種を強制され、大店舗の付属物化させられていくのである(四の14)、(疏甲四九号証「売場配置、配列計画)。
(五) 都市計画変更決定経過の違法
昭和五二年一月一四日、本件事業の都市計画決定(昭和四九年二月二二日)が一部変更されている(四の11)。
この変更に先立って三原市は縦覧案内の通知を出している(疏甲五〇号証)。この通知書には、施設建築物の延べ面積に変更のあること、住宅建設をとりやめることにしたことを記載している。この理由として三原市は一言もふれていない。通知書の内容はきわめて独断専行的であり、高圧的である。「縦覧すればわかる」というふうな態度の中に、本件事業の非民主性の本質がうかがわれる。
変更決定は、住居の一一〇三・二平方メートルをすべてとりやめ、延べ面積を六万三三五〇平方メートルから三万二八〇〇平方メートルに削減するが、核店舗だけは従来の二万四六九三平方メートルから二〇・五%増床して二万九七七六平方メートルにするというものである。これはまさに、権利者の利益よりも、大商業資本の利益を優先するという考えである(四の11)。保留床を大きくすることによってより核店舗の要求に応じ、本件事業の採算のとれることを企図したものである。
(六) 権利変換計画決定段階の手続上の違法(四の15)
権利変換計画の縦覧期間内に、権利者は施行者に意見書を提出することができる(法八三条)。
意見書が提出された場合、法は「採択すべきであると認めるときは権利変換計画に修正を加え、採択すべきではないと認めるときはその旨を通知すべき」旨定めているにすぎない。
しかし、具体的にどのように意見書に対する取扱いをなすべきかが定められないといえども、いかなる方法、手続をとって採否を決定するかについて施行者の自由裁量に委ねられているのではない。施行者として不公正な、独断的な手続によって採否を決定できるものではない。
国民の権利、自由の保障は、実体はもちろん、これを主張し擁護する手続の保障と相まって初めて完全、実質的なものとなり得るのであって、憲法一三条、三一条は、国民の権利自由が実体的のみならず手続的にも尊重さるべきことを要請する趣旨を含むものである。そもそも行政の作用は、国民の政府に対する信託によるものであって、行政の掌にあたる公務員は、全体の奉仕者として誠実にその事務を処理すべき義務があることから考えても事実認定につき恣意、独断を配慮すべきことは当然である。行政庁は、何人も事実の認定につき行政庁の恣意独断を疑われる手続による判定の結果を従わせるような自由はもたない・
しかるに三原市の申立人らに対する意見を不採択にした通知は、何ら理由も付さず、きわめて非民主的である。単に「意見書の内容を審査検討しましたが、意見は認められません」というにすぎない(疏甲五一号証通知書)(四の15)。
のみならず、不採択にした三原市の考え方はきわめて恣意、独断であり、有無を言わさぬ傲慢さにみちみちている(疏甲五二号証三原市の「弁明書」)。
申立人らの営業や生活方針についてことごとく「否認」したうえ、おかかえコンサルタントの如き口調をもって、とにかく再開発ビルに入居して営業せよと高圧的にお説教をしている。しかも他方では一部権利者に対してのみ(パチンコ店日栄会館)、優遇的措置を与えている(四の16)。このような不公正な権利変換が地方公共団体の手によってなされることは極めて重大な違法を犯しているといわなければならない。民主的な行政を目的とする地方公共団体の最も基本的な理念(地方自治法一条)をないがしろにすること甚しいものがある。
都市再開発法の手続は、市議会において施行規定を可決するという手続だけで強制権を生じ、一方的な決定である権利変換計画によって、新ビルの特定階の特定場所への移転を強制するのであるから、手続においても特に公正な手続が要求されるべきなのである。
しかも、施行者の三原市長が任命した市街地再開発審査会が意見書の採否を決定する(法八四条二項)のであるから、その公正さそのものにははじめから疑問のあるところであり、そうであるならなおさら、適正な聴聞手続が要求されるところである。
(法そのものの規定も不採択となったときは、行政不服申立なり行政訴訟を提起してその効力を争えばよいというものであって、きわめて不備である。意見陳述、証拠提出の機会は全く規定されていないのは法律規定の重大な不備である。)
2 実体的違法
(一) 申立人森本、同山口については権利変換処分後の権利の明細が明らかになっておらず違法である。
被申立人の昭和五三年五月一七日付「権利変換処分について(通知)」と題する書面によれば、申立人森本、同山口の権利変換処分後の権利は、建築される西館の一階ないし三階のいずれかの階の店舗<1>の床の一部というのであって、一階なのか二階なのかあるいは三階なのか明らかでない。のみならず店舗<1>の床のうちどの部分の床なのか、(例えば南側か北側かなど)も明らかでないのである。
ところで、都市再開発法は従前(権利変換前)の権利に対応して与えられる施設建築敷地の共有部分又は施設建築物の一部等の明細は権利変換計画において定められなければならないとしており(法七三条一項四号)、その明細とは(施設建築物の)何階の何番の部屋が従前の誰の財産に対応して与えられるかを示すことである。従って、本件各処分についてはこの点において違法があり取消されるべきである。
さらに、右に述べたように権利変換処分後の権利の明細が明らかになっていないことは、以下に述べるように権利変換処分について、不服申立をするか否かの判断ができないところから実質的には右の不服申立権を奪うことにもなり違法性は重大である。
即ち、権利変換処分は関係権利者に右のような明細を含む関係事項を通知することによってなされるのであり(法八六条二項)、その通知によって関係権利者に対して不服申立の機会を与えることとしているのである。そして、この不服申立は、権利変換手続の過程の中で法が認めている唯一の機会といえるのである。つまり、権利変換手続は<1>事業計画の決定又は認可<2>権利変換計画の縦覧<3>権利変換計画の認可という段階が積み重ねられて、法八六条による通知がなされるのであるが、右の<1>ないし<3>の各段階については不服の申立は禁止されていると解されているのである(法一二七条参照)。このようにして、右の不服申立の機会は、極めて重要なのである。このような重要な不服申立の機会を奪うこととなるようなことは違法であり本件各処分は取消されなければならない。
(二) 照応の原則に関する違法
法七七条二項は、権利変換は従前の権利者の「土地又は建築物の位置、地積又は床面積、環境及び利用状況とそれらの者に与えられる施設建築物の一部の位置、床面積及び環境とを総合的に勘案して」行わなければならない旨規定する。
(1) ところで、申立人岡村は株式会社サンヨー電機商会を営み、主として家庭電化製品の販売を行っている。従業員は岡村夫婦の外に四名雇傭している。岡村の如き小規模店の場合には、いわゆる一見の客は少なく、徹底したサービスで固定客をつかんでいないと、営業は存続できない。従って、昼夜わかたぬ営業体制が必要であって、現在の如く店舗と住居を同一建物にもつことは生命線であると言える。更にサービスのためには営業車が必要であり、その駐車場、また、客の要求に即応するための在庫品を保管する倉庫も不可欠であって、右のいずれを欠いても、現在かろうじて保持している営業は大きく崩れてしまう。
(2) 申立人常盤は薬局を営んでいる。従業員は常盤夫婦の外に七名程雇傭している。常盤の営業も右岡村と同様、固定客をつかむためのサービスが不可欠であり、店舗と住居を同一建物にもつことは生命線である。現在、夫婦で営業しているが、これも店舗と住居を同一建物にもっているからこそである。多量の薬品を保管する倉庫も絶対に必要である。
しかるに、株式会社サンヨー電機商会、同常盤は、各変換財産目録記載の建物部分に住居を設けることは禁止され(そもそも面積の点からも不可能である)、職・住の別を余儀なくされる。
そもそも、当初は被申立人においても申立人岡村、同常盤らは職・住を分離しえないことを認識して、本件ビル内に住居を設ける計画をしていたが、昭和五二年一月一四日、各地の視察の結果住居を別にした方が「満艦飾にならなくてすむ」との理由のみで、計画変更された。
更に、駐車場は勿論、倉庫も設けることはできず、それぞれの営業は根本的にくつがえされてしまうことは明白である。このように、申立人岡村、同常盤らは、本件各処分により存続できない営業形態を強制されることになる。
(3) 申立人岡村は現在賃貸している土地建物を有する。ところで、この土地・建物は三原市で一番古い商店街である駅前通りに面しており、かつ、建物は中三階建てで職・住同一の営業も可能になっている。
ところが、これに対する変換の建物部分は僅か三六・七九平方メートルの区画にすぎず、職・住は別になること、或いは、面積が狭小であること等から、申立人岡村の利用は極めて限定されてしまうことになり、従前の財産に照応した権利変換とは言えない。
(4) 申立人森本、同山口が所有していた土地建物は、三原駅南口約一五〇メートルに位置し、どのような業種の商売にでも適しているところである。ところが、権利変換処分後の権利床は西棟・東棟の一階ないし三階の店舗<1>のうちの一部分の床である。そこは、画壁で区画されているのではなく、いわゆるオープン床というべきものである。これでは、当該床で営む業種は限定されざるを得ない。同一店舗内では同一業種となるであろうから例えば、申立人以外の他の権利者らが衣料品店を営むのであれば、申立人が飲食店を営むことはできないであろう。また、申立人の有する床を第三者に賃貸していたばあい当該賃借人が賃借をやめ、新らたに賃借する際、その賃借人の営む業種は、当然に制約されるのである。これが従前の権利であれば、賃借人がクリーニング屋をしていてもその賃借人に替って新しい賃借人は鮮魚店でも営むことが可能である。このように権利変換後は賃借人の営む業種が著しく制約されるのである。
(5) このように、本件各処分は、法七七条二項の規定する照応の原則に反し違法であり取消さるべきである。
(三) 関係権利者間不公平取扱の違法
法七四条二項は、「権利変換計画は、関係権利者間の利害の衡平に十分の考慮を払って定めなければならない。」と規定し、前記七七条二項も関係権利者間の不均衡を禁止している。
ところで、申立人株式会社サンヨー電機商会、同常盤にとって職・住を同一にすることは生命線であることは前記の通りである。ところが、従前から営業を行っており、本件事業計画に基づく権利変換を受けた者の大多数は、職・住を別にしていた者であり、これらの者はそれで営業を継続しうる業種にたずさわり、あるいはそれに応じた生活設計を立てている。
このようななかで、独り株式会社サンヨー電気商会、常盤らは事情を全く異にし、本件各処分により、いずれ営業の廃止に追い込まれることは確実であり、右の如き職・住別の営業形式の体制の出来あがっており、本件権利変換処分に対応しうる者に比すれば、著しい不公平を強制されており、違法であり本件各処分は取消されるべきである。
(四) 従前財産評価に関する違法
法八〇条一項は、権利変換において不動産に関する評価は近傍同種の権利の取引価額等を考慮して定める相当な価額としなければならない旨規定する。
(1) 申立人株式会社サンヨー電機商会、同岡村、同常盤
申立人株式会社サンヨー電機商会、同岡村、同常盤の所有する土地・建物は、三原市でも一番古い駅前通りに面しており、商業を営むには一等地であり、土地の相当な取引価格も三・三平方メートル当り五〇〇万円(一平方メートル当り、一五一万円、千円以下切捨)は下らない。従って、土地についてのみでも、申立人株式会社サンヨー電機商会においてその評価額は一三、〇七〇万円、同岡村において三、五七二万円、申立人常盤において一五、三九四万円となる(いずれも千円以下切捨)。
しかるに、被申立人の評価は、申立人株式会社サンヨー電機商会において右土地、建物の合計額でも七、一四二万七、八四八円、同岡村において同じく一、八〇六万九、〇三五円、同常盤において同じく九、九九八万一、一〇六円とそれぞれされているにすぎない。
六 申立人らの回復しがたい損害
1 申立人常盤
(一) 申立人常盤は、訴状財産目録記載の土地、建物を所有し、常盤夫婦の外に七名の従業員を雇傭して、薬局を営んでいる。
常盤の営業は、同一ビル内に店舗と住居をもった職・住一致により、昼夜分たぬ営業態勢によって固定客をつかみ、妻も貴重な労働力を提供している。夜間、早朝の急病患者などへ薬品を供給しうる態勢が特長である。このような態勢は零細商業者の営業の知恵であり、営業存続の生命線である。
また、常盤の如き規模の薬局を営む場合には約三、五〇〇種の薬品とその在庫品を常時必要とし、店舗の他に薬品の保管庫を必要とする。更に、従業員の更衣室、休けい所、流し、駐車場、ゴミ処理場等のスペースが必要不可欠である。現在、ビル一階を店舗としており、約八五・八平方メートルである(疏甲第六五号証)。二階倉庫部分が約四一平方メートルであるが、一階応接室、四階までの各階段にも在庫品が積み上げられておりその延面積は五〇平方メートルを下らない(疏甲第六六ないし七一号証)。合計すると、在庫品の保管場所として約九一平方メートルが使用されている。四階の一七平方メートルの部屋(疏甲第六五号証居室(1))が従業員の更衣室、休けい所として使用されており、三階の一七平方メートルの台所は従業員も使用している。更にビルの裏の七平方メートル程の空地で紙箱等のゴミの処理を行い、近隣に一台分の駐車場を賃借している。このように、常盤が現在の営業に要しているスペースは約二一七平方メートルであり、それに駐車場も必要である。
(二) しかるに、新ビルに入つた後は、職・住は分離され、妻も二人の子供をかかえた状況から、職場へは出られなくなる。住居が別となれば、夜間・早朝の営業にも明白な限度がある。これまでの営業を支えてきた固定客へのサービスを十分に行うことはできなくなり、営業方針の根本的な再検討を迫られることになるが、明るい見透は全くない。
また、権利変換により受ける建物部分のうち常盤が営業用に使用できる西棟一階部分の床面積は一六〇・二四平方メートルにすぎず、現在の営業用スペースを大きく下回っている。駐車場も確保されてはいない。
(三) また、共益費も重大な問題である。当初、市の説明では、坪当り月二~三、〇〇〇円程度という説明であつたが、今日では七~八、〇〇〇円といわれている。市へ明確な数字を示すよう要求しても、それに応じていない。常盤が権利変換を受ける部分の合計は約六五坪であるが、四五万から五二万円の共益費を毎月出費しなければならなくなる。現在、常盤がそのビルの維持に住居部分の光熱費等込みで、要している費用が年間約一一〇万円(昭和五四年五月から五五年四月まで)であることを考えれば、予算不可能な金額である。右共益費には住居の維持費は含まれていないのである。
(四) 前記の事実で明らかなように、本件権利変換処分により現在のビルを退去させられ、新ビルに入れば、常盤の営業は根本的に変容を余儀なくされ、現在かろうじて営業を続けている体制は崩され、営業廃止に追い込まれることは必至である。
(五) このような営業再開後の重大な問題の他に、現在の土地・建物の明渡による営業停止が常盤の如き零細業者に与える打撃は致命的である。常盤一家の生活は勿論、営業停止による顧客離れ、買掛金支払の困難、従業員の生活保障等、常盤の如き営業では解決できない難問が山積することになる。
2 申立人株式会社サンヨー電機商会
(一) 申立人岡村は、訴状財産目録記載の土地・建物を申立人株式会社サンヨー電機商会所有として、同会社を営んでいる。岡村夫婦の他に四名の従業員を雇傭し、家庭電化製品の販売、修理を行っている。岡村の如き営業は、大規模店との熾烈な競争を余儀なくされているが、右建物に店舗と住居をもち、職・住一致により、昼夜分たぬ営業態勢をとり、徹底したサービスにより、一定の顧客を確保して、競争に耐えている。従業員を住込ませ、夜間のテレビのヒューズ一本の取替えにも出向ける態勢が不可欠なのである。人件費高騰の折、妻の労働力も貴重である。
疏甲第六五号証の如く、建物の一階は店舗、事務所、車庫、二階は倉庫、住込従業員の部屋(六畳間)、三階は岡村夫婦の住居にそれぞれ使用している。このように、一、二階は営業用に使用しているわけであるが、いずれも狭小に過ぎることはあっても、削減できるようなスペースは全くない。前記の如く、修理も重要な業務の一つであって、修理場が必要であるが、現在は、事務所を兼用している状況である。一、二階の床面積の合計は、一八七・二平方メートルである。
(二) しかるに、新ビルに入った後は、職・住は分離され、妻も職場へは出られなくなる。住居が別となれば、夜間の営業にも明白な限度がある。これまでの営業を支えてきた固定客へのサービスを十分に行うことはできなくなり、営業方針の根本的な再検討を迫られることになるが、明るい見透は全くない。
また、権利変換の建物部分のうち岡村が営業用に使用できる西棟一階部分の床面積は八〇・六三平方メートルにすぎず、現在の営業用スペースを大きく下回っている。事務所、修理場、倉庫、従業員の部屋を確保するスペースは全くない。
(三) 共益費についても、常盤について述べたのと同様の問題に直面する。サンヨー電機商会が権利変換を受ける部分の合計は約四四坪であるが、三〇万から三五万円の共益費を毎月出費しなければならなくなる。現在、岡村がその建物の維持に住居部分の光熱費等込みで要している費用が年間約一五万円であることを考えれば、大きな負担になり、営業を圧迫することは明らかである。
(四) 前記の事実で明らかなように、本件の権利変換処分により現在の建物を退去させられ、新ビルに入っても、営業を続けてゆくことが不可能なのは明らかである。市は営業の工夫を説くが、それはこれまでにも商売人として本能的に追求してきた。その結果が、現在の営業体制なのであり、岡村は実感できても、市の職員などには容易にうかがい知れない事柄である。変換を受ける床面積の絶対的狭小、顧客に対するサービス低下による客離れ、共益費の圧迫等の事情を考えれば、岡村が営業廃止へ追い込まれることは必至である。
(五) このような営業再開後の重大な問題の他に、現在の土地・建物の明渡による営業停止がサンヨー電機商会の如き零細業者に与える打撃は致命的である。岡村一家の生活は勿論、営業停止による顧客離れ、買掛金支払の困難、従業員の生活保障等サンヨー電機商会の如き営業では解決できない難問が山積することになる。
3 職・住分離について
前記の如く、常盤、株式会社サンヨー電機商会が執行停止を求めなければならない大きな理由の一つに、現在の営業の根幹をなしている職・住の一致が新ビル入店後は分断されることがある。
この点について、田阪証人の証言は要するに、対策協議会という一部権利者の集りが茨木市における再開発によるビルの外観を見て分離した方が良いという意見を述べ、それに従ったということに尽きている。市は始終これ程重大な問題を内包していることは認識せず、慎重な検討は全く行っていない。
しかし、本件計画の場合にもビル内へ住居の設定が計画されていたように、再開発ビル内に住居を設けるのが近時の一般的傾向である。昭和五〇年の建設省都市局長、住宅局長通は次のように述べている。「保留床の処分はこれまで主として商業施設にあてられる事例が多くみられるが、今後の事業施行に当っては、既成市街地における住宅の確保に資するため保留床を公営住宅等の公的住宅に優先的な公益施設として積極的に活用するよう配慮すること……。」
ここでは、経済の高度成長時代の再開発ビルの建設手法に反省が込められている。零細業者がその営業を確保してゆくためには、職住を一致させ地道な努力を重ねなければならないが、このような情況が右通達に反映しているのである。
4 申立人岡村賢二
(一) 申立人岡村は、訴状財産目録記載の土地、建物を所有し、印鑑の販売等を営む石田に賃貸し、月九五、〇〇〇円の賃料を得ている。土地、建物は三原でも一番古い駅前通りに面しており、商業を営むには一等地であり、建物も中三階建で一階を店舗とし二、三階を住居として職・住一致させて利用できるようになっている。このような利点により、岡村は高額な賃料で他へ容易に賃貸することができ、その賃料収入は岡村の家計の重要な一部を成している。現在建物は老朽化しているが、建て替えすれば相当高額の賃料収入が期待できる。
また、岡村は近隣地(この土地および地上建物も権利変換を受けている)において、株式会社サンヨー電機商会を営んでいるが、この財産はその営業のためにも欠きえないものである。すなわち、この財産を担保として苦しい資金繰りを確保でき、更に、将来において営業の拡張を試みる場合には、倉庫あるいは別店舗を建てることが可能となる。
(二) このように、岡村のこの財産は岡村の家計あるいは営業にとって、無くてはならぬものである。ところで、岡村にはこの財産に関する権利変換として、西棟一階<4>―2(三六・七九m2)が与えられることになっている。新築の巨大なビルの一画を取得することは確かであるが、僅か床面積一〇坪余りの区画を与えられるに過ぎず、岡村が次の如き著しい損害を蒙ることは明白である。
(1) 土地を従前通り所有していれば、建物によって高層利用することができ、前記の如く高額な賃料収入あるいは自己の営業用財産として多大の効用を発揮させることができる。ところが、この権利変換により、このようなことは全く不可能となる。
(2) 与えられる区画は店舗用であるが、床面積が一〇坪余りということから、業種は本質的に制約される。そのうえ、将来設立される管理会社によって業種が指定される可能性があり、同規模の店舗用区画がビル内に幾多設けられることを考えれば、順調に収益をあげうる営業を選択することは極めて困難となる。天満屋、ニチイという大型キーテナントとの競争も過酷である。このような事情を考えれば、他へ賃貸するにしても、高額の賃料を継続して得ることはできなくなる。自己の営業のために使用するにしても、一方的に押しつけられたものであり、必らずロスがでる。このような使用価値の問題は、担保価値にも反映し、これを担保にしての融資額も大きく制約されることになる。
(3) 新築ビルの機能が改善されることは確かであろうが、当然、維持管理費の増大をまねく。当初、坪二~三、〇〇〇円程の管理費が計算されていたが、今日では七~八、〇〇〇円程になると言われており、電気料金の値上げ等を考えれば、オープン時に更に高額になることは明らかである。定期的に出費となる管理費の問題は大きく、右(2)の事情と相まって、岡村の損害を一層大きなものとする。
(三) 岡村は、前記の如くサンヨー電機商会を営んでいるが、余裕のない零細な営業である。それは、文字通り、かろうじて維持されているものであり、現在与えられている条件の、どの一つに変更があっても、その影響は大きな形で出る。この財産も、現在、営業用に使用はされていないが、家計収入の確保、営業資金の借入のためには効用を発揮している。将来の営業拡張のためにも欠きえない貫重な財産でもある。
ところが、権利変換、土地、建物の明渡により、右2で述べたような回復不能の著しい損害を蒙り、これは、岡村の営業および生活に大きな打撃となる。このような事情から、岡村は本件都市再開発計画時から、声を大にし一貫して反対してきた。単なる財産上の損失ではなく、自己の営業、生活が根底からくつがえされるからである。それにも拘らず、被申立人はこのような声に耳を貸さず、前記2の如き問題についての説得力ある弁解もしないまま、計画を強行し、岡村らの生活は風前の燈となっている。岡村のこの土地部分は道路用地に計画されているが、岡村の営業、生活を崩してまで道路が設けられなければならぬかも疑問である。
5 申立人森本、同山口
申立人森本、同山口が所有していた土地、建物は、三原駅南口約一五〇メートルに位置し、どのような業種の商売にでも適している場所である。そのため賃借の希望は極めて多く空屋となる期間はないのが実状である。
ところが、再開発完了後に取得することとなるのは床の一部分であり、壁で区画されることのないいわゆるオープン床といわれているところである。従って当該床で営む業種は、限定されざるを得ない。例えば、当該床のある階が、飲食店の階であれば衣料店などは営めないし、その逆もそうである。従って、当該床を賃貸していたばあい新しい賃借人が営なむ業種は制約を受けざるを得ず、その結果、賃借人の範囲は著しく狭められることとなるのである。これが、従前の権利であればそのようなことはなく、賃借人が鮮魚屋をしていても、新しい賃借人や申立人自身は衣料店をすることも可能なのである。このようにして、権利変換後は、当該床で営む業種は著しく制約され、ひいては申立人らの生活に大きく影響するのである。
6 現時点での設計変更の可能性
市が申立人らの意見をよく聞かず、手続を強行したことは前記の通りである。市は現在施行中の計画が必然であったかの如き主張を行っているが、決してそうではない。疏甲第三五号証で明らかにされているように、申立人サンヨー電機商会、同常盤らは新ビルへの入居をしなくても、現在の設計の簡易かつ軽微な変更で、全体計画と調和できることが明らかにされている。この一事をみても、いかに市が権利者の意思に耳を傾けなかったかが明らかである。
7 その他、権利変換処分の強行は必然的に左のような諸問題を申立人らにかかえこませて、回復しがたい損害をもたらすことになる。
(一) 共益費については前述のとおり何ら権利者と施行者との間で話し合いがなされていない。共益費として、冷暖房空調費、照明動力費、設備維持費、保守管理費、清掃衛生塵芥処理費、保安サービス費、販売促進費など莫大な費用の徴収を余儀なくされる。
共益費は区分所有のフロアー(施行者のいう馬小屋方式)でも坪当り最低七〇〇〇円、その他のフロアーでは八〇〇〇円だと施行者は説明しているが、このような金額では他の再開発ビルと比較してもすまない。
単純な共益費の他に、駐車場を使用すれば駐車場料金を支払わねばならない。
(二) 店舗といっても、その内装は、店舗用途によって差異があるのはいうまでもない。薬局には薬局の内装があり、家庭電気器店にはそれにふさわしい内装を要する。これらの経費だけでも新規に店舗を開店すると同様に全て自己負担として、出発当初から大きな出費を余儀なくされる。
(三) 開店時刻、、閉店時刻の独立性は何ら保障されることがなく、大商業資本のペースに小売商業者は営業時間を拘束されることになる。
また、仮に営業時間が自由になっても、住居が分離しているのであるから、営業時間の自由にも殆んど意味がなくなる。
(四) 建て増しの必要性に迫られたときにも、土地空間利用の自由は全くない。
(五) 一個の建物の内部は必然的に雑居ビル的な形態となり、火災、ガス爆発などの急険性も増す(疏甲一号証「都市再開発と住民」六八ページ)。
管理の形態がどのような形になるかについては、施行者は何ら説明もなさず、権利者との話し合いもないため、全く不明である。管理主体責任の所在が不明確であるため、災害時、あるいは老朽化に伴う補修の負担がどうなるかということすらわからない。
七 緊急の必要性
田阪証人の証言でも明らかなように、本件事業の工事は昼夜にわたって急ピッチで行われており、昭和五六年二月完工、三月開店の予定である。申立人らはすでに、事実上の明渡請求を市より受けているが、(疏第七四ないし七六号証)、近々に権利変換処分が有効であることを前提として、形式的な手続を履践した明渡請求、更には代執行にまで及ぶことは明らかである。
八 結論
よって申立人らは申立の趣旨記載の如く、本件各権利変換処分の効力の停止を求めて本申請に及んだ。
当事者目録<省略>
行政処分執行停止決定申立の追補申立
記
一 申立の趣旨を次のとおり追補する。
被申立人が、昭和五三年五月一七日三再「権利変換の処分について(通知)」と題する書面をもって申立人らに対してなした各権利変換処分の効力及び昭和五五年一〇月二九日三再一一〇号「土地の明渡及び物件の引渡について(請求)」と題する書面をもって申立人らに対してなした各土地明渡物件引渡請求処分の効力は、本案判決が確定するまでこれを停止する。
との決定を求める。
二 申立の理由
1 被申立人は、昭和五五年一〇月二九日株式会社サンヨー電気商会、常盤友之に対しては同年一二月三一日、その余の申立人に対しては同年一一月三〇日をもって各土地の明渡物件の引渡を求める処分の通知をなした。
2 かかる処分は極めて不当である。
被申立人は本訴を提起した以後も、一切話し合いもしようとせず、強引に建築工事を進捗させて既成事実をつくりあげた。
既成事実をひたすら作り上げることによって利益の比較衡量上再開発ビルを完成させることがより公益性を有するかのような印象を与えて、本件事業の正当性を得ようとしている。しかしながら、かかる強引さによって、本件処分の違法性を治ゆすることはできないし、許さるべきものでもない。むしろ、ひたすら既成事実を作りあげ、申立人らの生活の基盤をいわば兵糧攻めにして陥落させようという意図そのものがきわめて信義則に反するものであって、本件処分の違法性は倍加こそすれ、希薄化するものではない。
一方では、本件事業が結局大商業資本に奉仕するだけで零細な小売業者はその犠牲となるにすぎないと適格な洞察をもって一貫して反対しつづけた申立人らを終始つんぼさじきに置いたまま、他方で莫大な財政的援助を与えて荷担者に引きずりこんだ協議会なる多数者を抱きかかえて再開発ビルを完成させようとしている。少数者を圧殺し、多数の衆をたのんだ本件事業の進め方こそ、非民主主義の姿以外の何物でもない。およそ、地方公共団体の施行事業のあり方とはほど遠いといわなければならない。(先日、書面で述べたとおり、パチンコ店だけは本年一一月一日にオープンさせるのはその一つの実例である。甲七八号証昭和五五年一〇月九日備後タイムズ)。
本訴提起後も、被申立人は工事の進捗に全力を傾注し、昼夜兼行の工事を督励している。そして、申立人らの建物以外全て撤去する一方で、申立人らと何らの交渉もしようとせず、既成事実の前に屈服する時期を待っている。被申立人の非民主主義的行政は首尾一貫している。
3 原告らが現在の職住一致の経営を解体し、職住を分離し狭いフロアーの再開発ビルに入居することが、すこぶる甚大な回復しがたい損害をもたらすかはすでに、述べた。
サンヨー電気商会はさなきだに厳しい業界の最中にあり、再開発入居後の営業生活は破綻をきたすおそれがきわめて濃い(疎甲第七九号証、業界新聞「全ラ連」)。申立人らは一様に現在の営業形態でなければ、生活の糧を失ってしまうおそれが大きいのである。トキワ薬局にしても、職住一致であるから経営として成立っているのであって、狭いフロアーで営業時間を拘束され、高い共益費のもとではいままでの経営を維持できるものではないのである。
しかるに被申立人は他方で、商調協の場において、大商業資本と一体となって共存共栄が可能であることを強弁し続けている(疎甲八〇、八一、八二号証)。これによると、商圏人口を三五万ないし四〇万とみなし、再開発ビル内の核店舗の売上げ額を減少させて購売余力さえ生ずるという。
甲八〇号証の三原市の説明は、乙四三号証の「あすの都市にむかって」の内容とも異なり、なにゆえに猫の目の如く商圏予測が変化しなければならないのか不可解であるが、共存共栄の可能性を印象づけようとする数字合せにすぎない。
よって速やかに効力を停止する裁判を望む。
以上
昭和五五年一一月七日付、同月一二日付申立人らの準備書面<省略>
答弁書
記
申立の趣旨に対する答弁
本件申立を棄却する。
申立の費用は申立人らの負担とする。
との決定を求める。
第一被申立人の主張
一 本件事業の立案実施の経過は次のとおりである。
(1) 昭和四五年日本専売公社に公社所有地を再開発事業用地として利用するため払下申請。昭和四六年六月三原市城町の同公社宅地一一六六六m2の取得契約締結。昭和四七年一二月同土地の被申立人への取得登記完了。
(2) 昭和四七年二月、三原駅前再開発事業の基本構想を公表。同年四月地元関係権利者に右構想を発表し、関係権利者への説明会を連続して開催。
(3) 昭和四八年三月以降、事業区域内の測量調査結果と住民意見に基づき再開発基本計画案を作成し、関係住民・商工会議所外関係団体への説明会を開催。
(4) 昭和四八年五月、天満屋、福屋、ニチイ、ジヤスコの出店申込による各店の調査と核店舗決定のための関係権利者で組織された三原駅前整備対策協議会等との協議。
(5) 昭和四八年八月一〇日広島県が備後圏都市計画にかゝる公聴会開催。
昭和四八年一一月五日東棟核店舗を天満屋と決定して発表。
(6) 広島県知事の依頼により、昭和四八年一二月一四日本件事業の都市計画決定案を公告し、同月一五日より二八日まで市都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。右公告、縦覧と併行して三原市長の高度利用地区決定案公告と縦覧も行つた。
(7) 昭和四九年二月二二日、高度利用地区ならびに本件事業の都市計画決定、公告。
(8) 昭和四九年三月本件事業の基本設計作成。関係権利者への説明会開催。
(9) 昭和四九年四月一日宅地建物等の評価及び損失補償に関する規準施行。
(10) 昭和四九年一一月区域内の財産、諸権利の公平な評価と公正な権利変換をはかる必要があり、そのために慎重な準備・審議が必要なので、再開発準備審査会を設置。
(11) 昭和四九年一二月当初設計説明による意見・要望をとり入れ、基本設計二次案を作成、関係権利者への説明会開催。
(12) 昭和五〇年二月乃至一〇月、事業区域宅地評価につき再開発準備審査会の議を経て関係権利者と接渉、土地価格を発表。
(13) 昭和五一年九月一三日高度利用地区変更案の縦覧公告、同月一四日より二七日まで都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。
(14) 昭和五一年一〇月二一日高度利用地区の変更決定公告。
(15) 昭和五一年九月西棟核店舗にニチイを決定。金融機関入居者を三原信用金庫と内定し、それぞれ発表。
(16) 昭和五一年九月乃至一二月、基本設計三次案及び権利変換モデルを作成公表し、関係権利者に対し個別説明。関係権利者大半の賛成・支持が明らかとなつた。
(17) 広島県知事により、昭和五一年一一月三〇日都市計画市街地再開発事業の変更案の縦覧公告をし、同月三〇日より一二月一四日まで都市計画課及び駅前再開発事務所において縦覧に供する。
(18) 昭和五二年一月一四日本件事業の都市計画変更決定、公告。
(19) 昭和五二年二月二六日本件事業計画の縦覧公告、同月二八日から同年三月一三日まで駅前再開発事務所にて縦覧に供する。
(20) 昭和五二年三月一九日付申立人らより事業計画絶対反対を趣旨とする意見書提出。
再開発審査会の議を経て同年七月四日付書面により不採択通知。
(21) 昭和五二年七月一九日本件事業につき県知事の認可を受け、八月二日事業計画決定公告、同日より駅前再開発事務所にて施行地区・設計の概要を表示する図書の写を縦覧開始。
(22) 昭和五二年八月二日より同月三一日まで権利変換を希望しない旨の申出期間があつたが、申立人らよりその申出はなかつた。
(23) 昭和五二年九月一六日権利変換基準決定。
(24) 昭和五三年二月二一日付三再第一一七号をもつて「権利変換計画案の説明について(通知)」と題する書面を申立人らに送付。
(25) 昭和五三年二月二八日から三月一三日までの間権利変換計画を縦覧に供す。
(26) 昭和五三年三月三日付書面により申立人らより権利変換拒否を趣旨とする意見書の提出があり、市街地再開発審査会の議を経て四月二一日付書面により申立人らに不採択通知。
(27) 昭和五三年五月一〇日付で県知事より権利変換計画認可を受け同年六月九日を権利変換期日として、五月一七日付書面により申立人らに対して権利変換処分通知。
(28) 昭和五三年八月仮設店舗開店。九月既存建物除去工事。再開発ビル建築工事着手。
(29) 昭和五五年九月三〇日権利変換登記受理(法第九〇条)
二 本件都市計画の決定
(1) 本件事業区域は総面積約二・八ヘクタールで、国鉄三原駅南側に位置し、瀬戸内海への海上交通の拠点である三原内港にはさまれ、地域南側三原内港に北接して鉄道にほゞ平行して国道二号線が設置されている。国鉄三原駅は在来の山陽線三原駅の外に昭和五〇年三月新幹線三原駅が開業した。
三原市の中心街は、かつては三原城跡の位置する駅北側にかつての城下町としての骨格を有する本町商店街があつたが、終戦後は帝人通から港町城町の本件事業区域一帯に市の中心街が移転してきた。現在では本件事業区域は駅前広場を有する三原市の表玄関に当り、中心的繁華街であり、人の移動集積の最も激しい地域である。
しかるに、本件事業施行区域内には三原駅前商店街とその西方帝人通り、御作事商店街を隔絶する形で広さ約一二〇〇〇m2の日本専売公社所有地が存在し、同地には明治年代に建築された倉庫もしくは工場用建物が築造されて、昭和年代に入つてからはこれら建物は倉庫として利用されていた。商店街は右公社倉庫群の周囲に密集する形で形成され、道路幅員も駅前広場も面積が十分でなく、主として小規模木造建物・区割建物を利用した店舗・住居が雑多に並び、業種も物販、飲食、娯楽等が無秩序に混在していた。
専売公社敷地を利用しての三原駅前商店街の開発は戦後早くより多数の市民、識者によつてその必要性が指摘されていたが、昭和四六年六月公社敷地の払下げを受け昭和四七年二月本件開発事業の基本構想を発表し、関係権利者への説明を開始してこれを繰り返し理解を求めた。
(2) 本件都市計画決定、その変更、高度利用地区の指定、その変更、それらの公告は前項(1)記載のとおりである。
昭和五二年七月一九日に被申立人は本件事業計画の設計の概要につき広島県知事の認可を受け、同年八月二日本件事業計画を公告した。公告の内容は次のとおりである。
市街地開発事業の種類及び名称
種類 第一種市街地再開発事業
名称 備後圏都市計画事業三原駅前第一種市街地再開発事業
施行地区 三原市城町・港町の一部
施行者の名称 三原市
事務所の所在地 三原市港町八四〇番地の五
事業計画決定の年月日
昭和五二年七月一九日
権利変換を希望しない旨の申し出をすることができる期限
昭和五二年八月三一日
三 手続上の瑕疵の主張について
(一) 事前周知協議
(1) 主張の如き手続上の瑕疵はない。
主張の如き行政通達や附帯決議は存在するが、これらは都市開発事業の本質上関係権利者の大半の意に反しての事業遂行は不可能であるところから、事業の施行に際し関係権利者の理解を求め、意向を十分に把握し協力を求めるべきことを教示するものであり、関係権利者全員の同意のもとに事業を施行すべき旨を教示するものではない。申立人ら主張の如く法は関係権利者全員の同意を都市開発事業施行の要件とはしていない。
(2) 三原駅前の市街地が広大な専売公社敷地の存在することもあつて、市街地として放置できない状態にあり、右敷地を利用することによる駅前市街地整備が必要なことは三原市の関係者が痛感するのみならず、第三者から指摘を受けていたところであつて、新幹線三原駅停車決定を契機に行政責任を負う被申立人において市街地整備の方法を種々検討し都市再開発法による整備を意図し、昭和四七年四月本件事業の基本構想を発表した。
爾後、再三にわたる説明会、対策協議会との協議、パンフレツトの配布等により関係権利者に説明と協議をし、その意見を容れて計画を変更して今日に至つた。現在関係権利者一五三名で、そのうち再開発ビル入居者は六九名であるが反対者は申立人らのみである。専売公社跡地や職住分離に伴う代替住宅地の確保等被申立人も多大の費用を負担している。パンフレツトにも権利者負担部分があることは明記している。
対策協議会は関係権利者の大多数で組織されており、本件事業計画の立案・実施につき関係権利者への周知・協議が不十分であるとか、非民主的であるとかの申立人らの主張はあたらない。
(3) 施行規則制定
本件事業の施行規程は昭和四八年一二月二五日に制定され、本件事業計画決定は昭和四九年二月二二日であることは主張のとおりである。
右施行規程は法第五一条により制定されたものであるが事業計画決定の準備行為として事前に制定されることは法律上許されるし、むしろ事前制定が当然に予定されている。天満屋とニチイとの間の保留床処分契約そのものは未だ締結されておらず(法第一〇八条)、保留床売却は予定である。保留床処分には公募の例外として市の裁量が認められている(七条)。
四 法第一条・第三条への適合性
(一) 本件事業区域は昭和四九年二月二二日及び昭和五一年一〇月二一日の被申立人の決定により都市計画法第八条第一項三号の高度利用地区に指定された地域内にあるが、地域内建築物はその殆んどが地上二階以下の木造建築物であり法第三条一号、二号の要件を充たしている。
(二) 本件事業区域の面積は二八、一七七m2で、前述の如く三原駅南側、国道二号線及び三原内港の北側に位置して三原市の中心的繁華街を形成して人の集積移動が激しく、昭和四九年二月二二日本件事業の都市計画決定前(昭和五二年一月一四日本件事業の都市計画変更決定当時も大差はない)の土地の利用状況は次のとおりであつた。
区域の面積は二八、一七七m2で、その総面積の約四二%に当る専売公社払下用地の周辺の民有地は総面積の約一九%に当る五四四〇m2しかなく、公共施設用地としては駅前広場四二八五m2(約一五%)、道路五三八二m2(約一九%)、水路一四七m2(約〇・五%)があるのみであつた。区域内建物の総戸数九六戸(専売公社払下用地上の建物を除く)は右五四四〇m2の土地に密集し、その建築敷地総面積は五〇八五・四m2、建築戸数中耐火建築六棟、簡易耐火建築五棟、木造三八戸で簡易耐火の内の二棟以外の全ての建物は地上二階以下で老朽化した建物が多く住居専用二・七%、店舗住居併用七一・五%、店舗専用一〇・九%であり、中には一棟の建物を区割した長屋風の店舗もあつた。地区内関係権利者は土地所有者二〇名、土地建物所有者七五名、建物所有者一〇名(内借地権者一名)、借家権者四八名でこのうち三二名が自家営業者であつた。以上のように土地の利用は著しく細分化され、権利関係も複雑に錯綜していた。
更に、駅前広場は山陽新幹線三原駅開業を見込むまでもなく、定期バス路線が集中するバス乗降場やタクシー乗降場を十分に設けるには狭く、一般駐車場はない。
道路は本件区域を駅前広場から南へ貫通する駅前大通りが幅員一五メートルであり、駅前広場前を東西にほぼ鉄道線と平行に走る駅西線は幅員一一メートル、駅東線は幅員八メートルで、いずれも歩車道の区別はあるが、又周囲区画街路として城町線五メートル、港町線六メートルで、いづれも交通量に比して狭少である。大火時の交通の危険性は極めて高い。
本件区域内土地の利用状況は以上のとおりであつて、法第三条三号に定める「当該区域内に十分な公共施設がないこと、当該区域内の土地の利用が細分化されていること等により当該区域内の土地の利用状況が著しく不健全である」場合に、明らかに該当する。
(三) 法第三条第四号は、「当該地区内の土地の高度利用を図ることが当該都市の機能の更新に貢献すること」と定めている。以下に述べるとおり本件事業区域の土地の高度利用を図ることが三原市の都市機能の更新に貢献する。
(1) 駅前広場整備の必要性
山陽新幹線三原駅の開業により、国鉄の推計によれば三原駅の乗降客は一日平均昭和四七年の一八、三〇〇人から昭和六五年には三六、〇〇〇人に増加するものと予測される。新幹線開通以前三原駅は呉線の乗換え駅であると同時に内海航路の拠点であつたが、新幹線の開通後は四国への表玄関として全国的交通ネツトワークの一拠点と考えられる。従つて、必然的に人・車の交通量の増大をもたらし、既に飽和状態を呈する。駅前広場にバスターミナル、タクシー乗降場、駐車場等を設ける必要性がある。
(2) 専売公社跡地の利用
専売公社跡地は三原市の繁華街を分断し、跡地周辺に商店が密集する形で商店集中による客の吸引力を阻害して商店の発展を著しく阻害している。
この跡地を有効利用し、駅前広場・三原内港に通ずる道路の拡幅整備を中心とした道路の整備、商業ビル新築によるシヨツピングセンター・ホテル等を設置することにより都市中核としての商店街の発展が可能となる。
(3) 商業の状況
各商店は小規模で密集しているため拡張の余裕はなく平均して設備は老朽化し、商店街中の個別の有力店が分散して商店街全体としての集中性に欠け、各商店の配置が悪く、業種別にも偏りがあり、全体として魅力に乏しい。
従来、三原市は隣接する尾道市の商圏に屈していたが、量販店やまてやの進出により一部商品について購売力が向上したものの、フアツシヨン商品等買廻品については交通の便により購売客の一部が福山市等へ流出しつつある。
各商店の将来性は量販店及び有力専門店に依存する傾向が強く、最寄品主力型で、開発事業による量販店、有力専門店を核とする近代的商店街を形成し、ターミナル型の買廻りシヨツピングの力をつけ、三原市内は勿論周辺商圏の購売力を吸引することが必要である。備後圏における福山市、尾道市との都市間競合もあり、他都市との相対的地位の低下を避け、従前工業都市的性格のあつた三原市が将来商工観光都市として脱皮しながら備後圏における拠点として発展するためには、都市の核としての駅前地区の再開発が必要不可欠である。
(4) 事業計画の概要
公共施設として駅前広場を従来の四二〇〇m2より約六八〇〇m2に拡張し、バスターミナル、タクシー乗降場、一般駐車場を設け、幹線道路として駅桟橋線(幅員二〇メートル、延長一六〇メートル)、三原駅前線(幅員一五メートル、延長一〇メートル)、三原駅西線(幅員一一メートル、延長五〇メートル)、三原駅東線(幅員一〇・五メートル、延長一〇〇メートル)、区画道路として駅広場線(幅員一三メートル、延長一〇〇メートル)、城町線(幅員八メートル、延長一九〇メートル)、港町線(幅員八メートル、延長一九〇メートル)を設け、公園緑地として約一〇〇〇m2の旧三原城本丸中門跡文化財緑地を設ける。
そして、約一一〇、〇〇〇m2の敷地に地上七階延面積二一、八〇四m2の西棟、地上七階地下二階延面積三五、五四五m2の東棟の両商業ビルを建築する。東棟は有力百貨店を配して客の滞留性・吸引性を持たせ、三原市の商業機能充実に寄与させ、西棟には市の表玄関にふさわしい市民・遠来者の日常利用機能を集積し市民広場ゾーンを形成し、駐車場・ホテルサービス最寄シヨツピング施設を配して便利性を持たせ、理想的商業地区を集中的に実現する。
(5) 量販店・百貨店への保留床売却
大型量販店、有力百貨店が所在都市内のみならず近隣商圏内の客を誘引し、これら大型店周辺の商業が盛んになることは各地によくみられる例である。本件事業計画においても大型店を商店街の核店舗として位置づけ、天満屋百貨店及びニチイに保留床を売却してビル内に入居させる。
本件事業計画は百貨店、量販店を核店舗としてその客の吸引力を利用して再開発した市街地の発展と繁栄を期したものであるが、大店舗と一般小売業との共存共栄を根本原則とし、再開発前の関係権利者の商人としての未来を約束するものである。再開発ビル内では百貨店・量販店の売場面積は東西両棟合計で約二四、一七二m2、専門店(小売店)のそれは八、一八五m2で前者が後者より大きいが、それは大規模店の客の吸引力に着目したからであつて、小売業者を大店舗の附属物視したことの結果ではない。大規模店に保留床を売却しその代金約一〇四億円を総費用約一九二億円の一部に充てることも予定されているが、これも都市再開発の際の通常の手法であり、大規模店の利益をはかるためではない。再開発ビル内には東西両棟で合計四八三四m2の駐車場も設けられるし、建築施設工事費は総費用中の約七一億円であり、右駐車場の外に道路、公園、緑地が設けられる。本件事業の実施は土地の高度利用による都市機能の更新そのものである。
(四) 商圏予測
本件事業計画立案実施の前提として商圏予測は必要不可欠のものであることは言うまでもあるまい。それ故にこそ被申立人は専門家による商圏予測を何度も実施しているのである。
被申立人が公表した商圏予測数値は申立人が主張するとおり(申立書四七頁の表は乙四七号証四頁)であるが、予測数値の差は予測時点や核店舗の性格、売場面積等によつて変動する。申立人らの主張するような矛盾はない。商圏人口の予測は再開発ビルの規模、核店舗の規模・種類を決定する際に重要であるが、逆に再開発ビルの規模、核店舗の規模・種類によつて吸引予測人口が影響を蒙る関係にある。
申立人らは、本件事業は地元零細企業者にも消費者・市民にも利益をもたらすことなく、天満屋・ニチイをもうけさせることを最大の目的とするものであると断定している(申立書五六頁)。申立人らはかゝる誤つた前提に立ち広域的な経済予測である本件の商圏予測を論難するに過ぎない。
(五) 本件事業の主体性
本件事業は専門知識を有する岡田新一設計事務所、日本コンサルタント等の専門的・科学的知識と技術を利用して被申立人が主導し関係権利者と協議し、その意見を反映して立案実施されている。
計画自体が鹿島建設グループや大型店の利益のみを追究する公共性の低いものであるとする申立人らの主張は当らない。
(六) 本件事業施行区域の状況、本件事業の効果は以上に述べたとおりであつて法第一条・第三条に適合することは明らかである。
五 権利変換処分後の権利の明細について
(イ) 申立人森本、同山口につき、被申立人が「権利変換処分について(通知)」と題する書面で、主張の如き通知をしたことは認めるが、右通知によれば権利明細は明らかであり、取消原因はない。
(ロ) 本件事業計画においては、権利床は原則として共有持分として変換することとされた。例外は、ビルの外向店舗と特殊な業種形態である飲食店舗については権利床を区分所有権として変換した。
本件事業計画による開発ビルはシヨツピングセンターとしての機能を持ち、都市の中核をなす商業ビルとして計画された。シヨツピングセンターとしての機能を持たせるためにはビル内営業の業種構成を含めた強力な管理体制を執る必要があるが、権利床の区分所有制度ではこのような管理は著しく因難であり、旧市街地の改造ビルにその例が見られるように商業ビルとしての機能が損われ、権利床の価値は却つてその低下をもたらす。
権利床の共有制では、区分所有権を法律上成立させるための隔壁をビル内部に設ける必要がないため、各営業者の使用面積・位置・通路設定等の調整が容易であり、ビル内で統一のとれた店舗構成・管理が可能で、床面使用が効率的であり、将来の商業構造の変化にも柔軟に対応でき、店舗面積決定や店舗設計にも営業者に有利である。又、隔壁を設けないため、ビル建築のコスト低減がはかれる。
権利床の共有制は、右の如き理由から権利変換の原則的形態として採用された。この共有制は区分所有制との利害得失を十分に検討した対策協議会の選択の結果に基づき被申立人において決定したものである。申立人らを除くその余の関係権利者は全て共有方式に賛成している。
六 法第七七条第二項の適合性について
(一) 法第七七条第二項は、権利変換はこれを受ける者相互間に不均衡が生じないようなされるべき旨定めているが、土地区画整理法第八九条が「換地が従前の土地の位置・地積・土質・利用状況・環境等が照応するように定めなければならない」と定めているのとは異る。
法第七七条第二項は、「照応の原則」ではなく「均衡の原則」を定めていると言うべきである。都市開発事業はいわば立体的換地とも言うべきものであり、権利者の従前の土地上に旧建物を取り壊してビルを新築し、従前と面目を一新した都市中核商業地の開発を目的とする都市再開発事業においては従前の権利や利用状況が大きく変化することは当然の前提である。法が土地区画整理法における照応の原則を採用していないのは当然である。申立人らを他と区別して特に不利に扱うのでない限り法第七七条第二項の均衡の原則違反の問題は生じ得ない。
(二) 申立書五の2の(二)記載の事実(申立書七四頁以下)中、再開発ビル内に住居設置が認められていないこと、申立人らの従前の土地、建物これらを利用しての事業の種類、従業員数、申立人岡村、同常盤が営業用建物の一部に居住していたこと、ならびに申立人らが権利変換により取得する施設の部分も主張のとおり認め、その余は否認もしくは不知。
(三) 職住分離
(イ) 小売商店における健全な経営基盤・経営の合理性は、申立人ら主張の如き職住一致によらなくても維持可能である。このことは多数の権利者が理解し認めているところである。尚、申立人岡村・森本・山口はその所有土地・建物を他人に賃貸し、自らはその所有物件で商業を営んでいない。
(ロ) 本件事業施設内に住居を設けないことは再開発計画を権利者、権利組織者、及び施行者である被申立人が検討・協議し、「より望ましい店舗のあり方」「より望ましい住環境」を求める中で、施設建物内には「住宅を設置すべきではない」との強い要請があり、その旨の方針が決定された。現に多数の権利者が市内港町に新築した共同住宅に入居している。又、一戸建住宅希望者に対しては被申立人において本件事業の関連事業として代替地を確保している。
(ハ) 営業上必要な倉庫等は権利変換で申立人らが取得することとなる区分床の有効利用の問題であり、設置可能である。
(四)(イ) 申立人山口、同森本の従前財産である各建物は両名を含む一一名の者の区分所有にかゝる一棟の建物であり、又申立人岡村の現在賃貸している従前財産もいわゆる長屋を区割りした建物であり、その一区画を所有するもので、申立人主張の如く新築・改築が全く自由という実情にない。又、業種の選択にしても賃貸人を選択するにしても密集商店街の一店舗として申立人主張の如き全くの自由がある実情にはなく、近隣店舗地区内環境に左右される。大多数の権利者が本件再開発事業に賛同して地区内は店舗専用とし住宅は地区外へ設けることとしてこれを実行している実情は権利者すべての将来の繁栄のため、また三原市商店街の核として市の商業機能の発展充実につながる重要な要素として評価しなければならない。
(ロ) 被申立人は事業計画地域外へ居住することとなる関係権利者に対しては、区域の近傍に住宅用地を提供し、代替住宅を提供しており、地域内に住居を設けないことへの充分の配慮をしている。
七 法第七四条第二項の主張について
申立人株式会社サンヨー電機商会、同常盤は、従前財産を職住一致の営業に使用しており、本件権利変換処分により職住分離をせざるを得なくなり、営業廃止に追い越まれると主張するが、職住分離により営業廃止に追い越まれるとの点は否認する。
従前財産を職住一致で利用していた他の関係権利者は本件再開発ビルで職住分離による営業を継続・発展させることを期しているのに右両名のみが営業廃止に追い込まれることは断定できない。
住宅分離者に対しては被申立人において住宅地もしくはマンシヨンを提供しており移転費用も補償される。関係権利者の利害の衡平に欠けるところはない。
八 従前財産の評価について
申立人ら所有の土地・建物につき被申立人が主張の如く価格評価したことは認める。但し、申立人森本の土地建物合算価格は一八六三万四八一八円である。
被申立人のしたこれらの価格評価は「三原駅前市街地再開発事業に伴う宅地建物等の評価及び損失補償に関する規準」と称する一般基準を定め、地価公示法に基づく地価公示価格鑑定評価格、近傍類似土地の取引価格等を考慮し、再開発審議会の議を経て、慎重・公正に決定されたものである。
申立人らの、土地についての、主張の時価は否認する。
九 損害の主張について
(一) 申立人常盤、同株式会社サンヨー電機商会は、本件権利変換によつて職住分離を余儀なくされ、営業維持が不可能であること、共益費の負担が営業上耐え得ないこと、現在の土地建物明渡による営業停止による損害が営業上耐え得ないことを理由に、回復し難い損害が発生すると主張する。しかし、職住分離は再開発ビル発展に不可欠として関係権利者大多数の一致した意見により定められたものであり、職住分離により右両名の営業が不可能となることはない。
共益費は坪当り一ケ月七、〇〇〇円見当を要するが、これは専用部分のガス・水道・電気代を除いた一切の共益費用であり、冷暖房清掃、衛生費、共用部分の全ての共益費を含み単なる賃貸料との比較により負担の増大を論ずることはできない。営業停止に伴う損害は正当に補償されるし他の関係権利者に比し右両名のみが営業停止により致命的損害を蒙るとは考えられない。
回復不能の損害は発生しない。むしろ、本件事業完成後の都市機能の更新により再開発ビル内の営業の発展が約束されている。
(二) 申立人岡村、同森本、同山口は従前財産を賃貸利用していたもので、権利変換により従前財産による賃借人選択の自由が権利変換により著しく制限され、且つ共益費用の負担も加わり回復し難い損害を蒙ると主張する。
しかし、右三名の従前財産が密集地の連鎖小規模店舗であり、申立人主張の如く実際上選択の自由があることは到底考え難いのみならず、右三名は自らは従前財産に居住せず、他に賃貸しているものであるから、本件事業の施行により回復し難い損害は発生しない(福岡地裁昭和五二・七・一八決定、判例時報八七五号二九頁)。
(三) 本件施行地域は三原駅の表玄関に位置し、新幹線・在来線の停車する三原駅と瀬戸内航路の主要港である三原港が直近に位置する交通の要所でありながら広大な専売公社敷地の周囲に小規模連鎖店が密集して市街地として発展の余地がない。市街地として発展しなかつたのは申立人ら主張の如く工場の集中、下水道設備不備が要因ではない。大型店舗を中核とした近代的商業ビルを中心に道路・公園を整備すれば、多数広域の人々が集まり市街地として発展繁栄するに至ることは既に詳述したとおりである。申立人らには営業一時停止による不便・不安があるとしても、回復不能且つ緊急性ある損害の発生は予測し難い。
一〇 公共の利益
(一) 申立人らを除く関係権利者は全て本件事業に賛成しており再開発ビル工事はその約九〇%が完成し、昭和五六年三月二一日の完成をめざし申立人らを除く関係権利者は再開発ビルでの営業再開を待ち望み、昭和五五年一一月一日にはビル管理を目的とする法人も結成・発足が予定されている。申立人らはビル入居を希望しないなら権利変換を希望しない旨の申出をして金銭補償を受ける途もあつたが、申立人らが反対して建物除去のための建物明渡に応じないため、工事完成が危ぶまれる状態にある。
(二) 申立人株式会社サンヨー電機商会、同常盤の建物の除却ができないと再開発ビルへの駐車場出入のための工事、文化財である石垣の保存工事、その前面に予定された防火設備を兼用する目的の池を作る工事ができず、消防法上ビルの使用が不能で、再開発ビルのオープンは不可能である。設計の変更により事業計画を遂行することも不可能である。
(三) 本件事業の執行が停止されゝば、再開発ビルのオープンが不可能となつて、ビル入居予定の権利者六九名に営業再開時期遅延による多大の営業損害を与えるのみならず、道路・公園の整備も遅れることとなつて著しく公共の利益を害するに至ることは明白である。
一一 以上のとおりであつて、申立人らには公共の利益を害しない程度の回復不能・緊急性ある損害発生は予測できず、本件申立は速かに却下されるべきである。
第二申立人らの主張に対する認否
一 申立の理由第一項乃至第三項は認め、その余については被申立人の主張に反する部分は否認もしくは不知。
二(イ) 被申立人は本件事業の立案にあたり、都市問題専門家の専門知識と技術を必要し、岡田新一設計事務所や株式会社日本コンサルタントの専門知識・技術を利用したが、本件事業計画の立案を関係住民に秘し、その意見・意向を無視し、鹿島建設グループ主導でなした事実はない。
(ロ) 昭和四七年二月の基本構想、発表と共に関係権利者への説明会を連続して開催し、関係住民で組織された対策協議会とも充分に協議をなし、昭和四九年二月二二日に本件事業の都市計画決定がなされているのであつて、関係住民への事前周知、意見・意向の尊重も充分になされている。反対者は申立人ら四名のみであることからもこのことは自明である。
(ハ) 昭和五五年一一月一日を目標に再開発ビルの一画にパチンコ店を開店させる計画であることは主張のとおりであるが、昭和五五年一一月の再開発ビルオープンを確約していたところ、昭和五三年八月に地下地盤存在による工事トラブルのためオープンが遅れることとなり、一方パチンコ店への権利変換部分は東棟ビル本体とは切離可能部分であつたゝめ、パチンコ店の営業損害を避けるため同店のオープンのみを認めた。これに伴う都市計画変更は壁面の一部が道路にかゝることとなつたゝめ道路境界線を僅かにずらしたものに過ぎず不平等取扱いではない。
(ニ) 核店舗を東棟天満屋と決定したのは昭和四八年一一月西棟核店舗をニチイと決定したのは昭和五一年九月である。これら核店舗との保留床処分契約は未締結である。再開発ビルの床面積の利用計画が核店舗利用を優先もしくは主とし、権利者の利用を劣後もしくは従として扱つたことはない。
(ホ) 都市計画変更決定経過(申立書六五頁)、権利変換計画決定段階における申立人らの意見書不採択処分(同六七頁)に主張の如き違法・不当はない。市街地再開発審査会に不公正な点はない。
以上
準備書面
記
第一追補申立の趣旨に対する答弁
申立人らの申立を却下する。
との裁判を求める。
第二追補申立の理由に対する認否
一 被申立人が申立人株式会社サンヨー電機商会及び同常盤友之に対し、主張の如き明渡・引渡を求める通知をしたことは認める。
二 追補申立書記載のその余の事実は、被申立人の主張に反する部分は全て否認もしくは不知。
三 答弁書記載の如く、被申立人は昭和五六年三月二一日を再開発ビル営業オープンを目標に本件事業計画に必要な全ての手続をすゝめており、土木・建築工事についても右オープンに支障のないよう工事をすゝめている。オープンの遅延は多数の権利者に多大の損害を与えることとなることは明白である。
被申立人は申立人らとの話合を拒むものではなく、又説得することを放棄したわけではないが、本件事業計画に対する基本的認識の相違から具体的話合を持ち得ない状況にある。
第三答弁書の補正
(一) 再開発ビル入居者六九名とあるは誤記につき八〇名と訂正する。
(答弁書七枚目表、二二枚目表)
(二) 再開発ビルの営業開始予定日、つまりオープンは昭和五六年三月二一日である。
この点に関し、答弁書二一枚目裏「昭和五六年三月二一日の完成をめざし」とあるが、「昭和五六年三月二一日のオープンをめざし」と訂正する。
(三) 答弁書二一枚目裏から二二枚目表にかけて、一〇の(二)の項において、申立人株式会社サンヨー電機商会、同常盤の建物の除却ができない場合には、再開発ビルへの駐車場出入りのための工事、文化財である石垣工事等が不能である旨述べているが、申立人常盤の建物敷地部分は権利変換床となるべき建物の建築が予定されている。
従つて、申立人らが疎甲第三五号証で示す変更設計は駐車場のリフトを文化財指定地域へ移転するもので、文化財保護法の制約を無視するものであるのみならず、予定された権利変換床の建築を不可能にするものである。
尚、石垣は、文化財保護法の史跡として文化財に指定されているものであるが、この指定は当初昭和三二年に指定されたものと考えていたところ(疎乙第七二号証)、指定地番に誤りがあることが調査の結果判明し、改めて昭和五三年に指定された(疎乙第七三号証乃至同七五号証)。
以上
準備書面
記
一 土地明渡等の請求
(一) 被申立人は、都市再開発法第九六条第一項・第三項の規定により、本件事業の施設建築物及び公共施設整備工事施行のため必要があるので、施行地区内の土地及び物件の所有者である申立人らに対し、三再第一一〇号をもつて次のとおりその明渡しを請求した。
(イ) 株式会社サンヨー電機商会(疎乙第七六号証)
昭和五五年一〇月二九日付書面を、同日直接持参する方法により、同年一二月三一日までの、旧三原市城町六〇三番地宅地九一・一〇m2の土地明渡し、及び同所家屋番号五三一番四木造瓦葺三階建居宅兼店舗延床面積八九・二五m2(公簿面積)、ならびに同所家屋番号五三一番五木造瓦葺三階建居宅兼店舗延床面積一一八・九八m2(公簿面積)の建物の引渡し。
(ロ) 岡村賢二 (疎乙第七七号証)
i 昭和五五年一〇月二九日付書面を、同日直接持参する方法により、同年一二月三一日までの、旧三原市城町六〇三番地九五宅地九一・一〇m2の土地明渡し、及び同所家屋番号五三一番四木造瓦葺三階建居宅兼店舗延床面積八九・二五m2(公簿面積)、ならびに同所家屋番号五三一番五木造瓦葺三階建居宅兼店舗延床面積一一八・九八m2(公簿面積)の各建物引渡し。
ii 昭和五五年一〇月二九日付書面を、同日直接持参する方法により、同年一一月三〇日までの、旧三原市城町六〇二番地一七八・宅地二三・六六m2の土地明渡し、及び同所家屋番号一一三番コンクリートブロツク造瓦葺二階建店舗延床面積実測五六・〇八m2公簿面積三七・〇二m2の建物引渡し。
(ハ) 常盤友之 (疎乙第七八号証)
昭和五五年一〇月二九日付書面を、同日直接持参する方法により、同年一二月三一日までの、旧三原市城町六〇二番地二四〇宅地五五・四一m2、同町六〇三番地一〇五宅地四八・三一m2の土地明渡し、及び右両土地上に存在する同所家屋番号六〇三番一〇五鉄骨造陸屋根五階建居宅兼店舗兼倉庫延床面積実測三三九・八八m2公簿面積三三八・九四m2の建物の引渡し。
尚、常盤友之所有物件を有限会社ときわ薬局が占有使用しているので、同社に対しても、右と全く同様の請求をしている。
(ニ) 森本偕三 (疎乙第七九号証)
昭和五五年一一月四日に到達した同年一〇月三〇日付内容証明郵便により同年一一月三〇日までの、旧三原市城町六〇二番地二二〇宅地二〇・九七m2の土地明渡し、及び同所家屋番号六〇二番二二〇コンクリートブロツク造陸屋根二階建居宅兼店舗・延床面積実測四〇・八六m2、公簿面積三六・一二m2の建物の引渡し。
尚、右内容証明郵便は到達が遅延したゝめ昭和五五年一一月二〇日発信の内容証明により、期限を昭和五五年一二月三一日と定めて右と同様の請求をした。
(ホ) 山口トモコ (疎乙第八〇号証)
昭和五五年一〇月二九日付書面を、同日直接持参する方法により、同年一一月三〇日までの、旧三原市城町六〇二番地二一八・宅地二〇・三三m2の明渡し、及び同所家屋番号六〇二番二一八コンクリートブロツク造陸屋根二階建居宅兼店舗・延床面積実測三九・六〇m2、公簿三四・九四m2の引渡。
(二) 本件事業施行区域内の権利者一五三名中申立人らを除く一四八名の権利者は、権利変換計画にもとづき土地の明渡及び補償協議が成立している。
中でも、歯科医の件外岡田源十氏の住居兼医院用建物は、昭和四三年六月新築の鉄筋コンクリート陸屋根付三階建・延床面積三四五・四七九m2であり、件外飲食店経営の件外砂田伸治氏の住居兼店舗用建物は昭和四六年四月新築の鉄骨造コンクリートブロツク造三階建・延床面積一五六・九三m2である。これらの建物は昭和四八年五月に新築された申立人常盤の建物や、昭和二九年四月に新築された申立人サンヨー電機商会の建物に比して同程度もしくはそれ以上の良質の建物であり、被申立人は事業計画にもとづき、権利者に対し平等に義務の履行を求めるべく申立人らに対して右明渡しの請求をした。施設建築物整備工事は現在本件工事の八八パーセントも進んでおり、話合による問題解決の見通しのない現在に至つては右請求も止むを得ない。
二 設計変更について
(一) 申立人ら主張の設計変更による事業計画変更が不可能であることは既に述べたところであるが、詳述すれば次のとおりである。
(二) 主張の変更計画は、文化財に指定された地域の一部にカーリフトを設けることになるのみならず、申立人ら権利変換前の土地及び建物を事業計画施行区域から除外するものである。
本件文化財指定地域は、三原城跡の一部を形成する本丸中門跡の石積み及び土手の存在する地域で、文化庁・広島県教育委員会の指導と補助金交付により三原市教育委員会が三原城跡の保存管理計画策定事業として文化財保存管理を実施したものである。
指定文化財に対しては私有権の自由な行使が著しく制約されるため公有化がはかられており、そのため買収費の八〇%を国が、一〇%を県が補助する方法で行われている。
本件指定地域である中門跡も私有地であつたゝめ、右管理計画において石積・土手の現状変更・指定地域内における新築・改築の現状変更は原則として認めないとの方針が決定され、環境整備と跡地西側の緑地帯設定が定められ、その後更に壕が設けられることとなつた。
そして、本件事業計画と指定地域公有化計画は関連して総合的に考慮され、本件事業計画による権利変換後公有化された。公有化に際しては、指定地域整備計画について国及び県より指定を受け、前述の如き補助金の交付を受けており、指定地域に巨大な構築物を設置することは到底、文化庁の許可を得る見込みはない。
申立人ら主張の如く、三原城跡を形成する天主台南側石垣は新幹線工事により影響を受けたが新幹線工事の公共性は極めて高く、本件の場合と同様に論ずることはできない。
次に、申立人らの土地及び建物を事業区域から除去することは事業区域の形に凹凸を作ることとなつて都市再開発事業の本質的要素の一つである区域の整合性に反するし、それが区域内一部の反対者の利益保護のみを理由とするものであれば到底容認できるところのものではない。更に申立人常盤の占有地は西棟建設予定地の一部で権利床が予定されており、これ又、一部反対者の利益保護のために全体計画(権利床の位置の移動・価格等)に多大の影響を及ぼす結果となる。
(三) 西棟側の港町線道路は幅員が六メートルから八メートルに拡幅されるが、既に昭和五一年二月より広島県公安委員会より道路西側に商店街があるところから、買物道路として車輛乗入制限(午后二時より午后六時まで)の交通規制が実施されており、申立人ら主張の如き計画変更は右交通規制の解除措置を必要とするが、道路西側商店街住民等の意向もあり、右規制解除も困難である。
以上